31 / 125

第31話

 彼女達の好奇心一杯の視線が笹木に降り注ぐ。普段から自らのことは何も明かさない上司のプライベートに踏み込めて興味深々の様子だ。 「ええと……、遠い親戚の子なんだ。うん、凄く遠い……」  自分に言い聞かせるように言った笹木にさらに、 「もしかして広島に住んでいるご親戚とか?」  ひとりの女性社員の言葉に、えっ、と小さく驚いた。 「課長、夏になるといつも日帰りで広島に行かれているから。そこのご親戚なのかなって」  確かに彼女達のために毎年、もみじ饅頭をお土産に差し入れている。 「そう、だね」  左の頬を手のひらで触りながら笹木は答えた。彼女達は楽しそうに、あそこがいい、ここはおすすめと口々に観光スポットや流行りの店などをあげ連ねていく。 熱の籠った女性達の提案に「そんなにたくさんあるんだね。参考にさせてもらうよ」と笹木は笑いながら引き受けた。 「でも課長。休みの間に歯医者には行ってくださいね」  急に言われて笹木は首を傾げた。 「歯医者?」 「だって、ここのところ課長、頬っぺたを触ることが多くなっているから。左側の歯が気になっているんじゃないですか?」  彼女達の指摘にハッと気がつく。確かに今も彼女達の話を聞きながら、左の手のひらを左頬に軽く添えていた。  この行為はつい最近していることだ。本人は気づいていないのに周りが分かるということは、もうすっかり癖になっているのだろう。 (航平くんのことを思い出すと、やってしまうんだな……)  あの日、別れ際に新幹線のデッキで左の頬に軽く押し当てられたのは航平の唇だ。その柔らかな感触を思い出そうとでもしているのか?  笹木はそっと頬から左手を離すと「ありがとう。早めに治してくるよ」と彼女達の気遣いに礼を言った。

ともだちにシェアしよう!