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第81話

「航平くん、どうした?」  さらに声をかけた笹木に航平は唸るように、 「……それは兄ちゃんを忘れるってことですか……」  笹木はその言葉に小さく息を呑んだ。そして「違うよ」と慌てて否定をした。 「ただ、今までに僕の傍から居なくなった人達と同じように、時々彼を思い出すだけでもいいのかなって……」 「それは兄ちゃんと一緒に俺のことも忘れるってことですか」  厳しい口調の航平に笹木は言葉を返せなくなった。 「兄ちゃんを忘れることなんて出来んじゃろ」  薄い月の光の下で航平が笹木を睨みつけている。笹木はその強い瞳の力にその場から動けなくなってしまう。 「死んだ奴には勝てんって本当じゃ。今日、笹木さんと一緒におってようわかった」 「航平くん……」 「笹木さんのなかの兄ちゃんは全然死んどらん。ずっと笹木さんと一緒におる。兄ちゃんらしいわ、やろうと思うたことは何がなんでも貫き通すとこ。笹木さん。兄ちゃんはね。あの夜、ウリを辞めて笹木さんと暮らすって言いよったんと。……凄く嬉しそうに言いよったんと」  初めて聞いた純也の想いに笹木は驚きを隠せない。航平は苦しそうに、 「じゃけえ、兄ちゃんは実行したんじゃ。この世では一緒に住めんようになったけえ、笹木さんの心の中に住むことにしたんじゃ。そんなん絶対に忘れられんよ。兄ちゃんのこと……」  一気に捲し立てた航平が急に黙り込んだ。そして、はあ、と大きく息をつくと右手で自分の前髪をかきあげるようにくしゃりと掴んで「……くそっ。俺は一体何を話しとるんじゃ……」と呟いた。  川面から吹く冷えた風の中、二人で向かい合ったまま沈黙が流れる。笹木は航平から聞いた純也の最後の想いを噛み締めていた。それは一番欲しかった言葉だ。いまさらそれを知っても、もうどうすることも出来はしない。でも、今の笹木にはそれだけで充分だった。

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