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第82話
目の前の青年――。
この五年間、彼と過ごした時間は今の自分には何物にも換えがたい物となった。年に一度しか逢えない、あとはたまにスマホでやり取りをするだけ。でも航平の存在は、ある時から純也を追い越してしまったような気がする。
肩で息をしながら額に手を当てていた航平が、ふと何かに気がついたように小さく体を揺らした。そして一歩足を踏み出すと何を思ったのか、笹木をその場に残して急勾配の土手を川に向かって降り始めた。
急な航平の行動に慌てて「航平くん!?」と呼び止めた。しかし、航平は笹木を残したまま、ずんずんと川岸へと向かっていく。
(まさか、このまま川に入って行くつもりじゃ……)
笹木の胸に不安が込み上げてきた。このままでは置いていかれる、彼すらも自分の傍から居なくなる。一気に込み上げてきたた不安がどす黒く胸の中を一杯にした。小さくなる航平の背中を笹木は夢中で追いかけた。
足元は暗くて急な斜面だ。おまけに雑草だらけで踏み出した自分の靴先も見えなくなる。霞んだ月明かりを頼りに、自分の足元と航平の背中を交互に見ながら笹木は急いで斜面を降りていった。
時おりズルリと湿った草に足を滑らせる。その度に小さく声をあげたが、航平には聴こえていないのかこちらを振り向くことはなかった。
(お願いだ。待ってくれ)
同じ道を辿っているのに航平の歩みは滑らかだ。まるで何かに導かれるように真っ直ぐに、その足運びには迷いが無かった。
「航平くん、待って! 待ってくれ!」
バーで飲んだ酒の酔いが廻ってきたのか、笹木は息を切らして航平の名を叫んだ。やっと草の生い茂った斜面を降りきったときには航平はひとり、河原を埋め尽くす草むらの中で立っていた。
自分の膝丈ほどの草を掻き分けて航平に近づく。薄闇に仄かに浮かんだ広い背中を覆うシャツに手を伸ばして、笹木は思わずそれを掴んだ。
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