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第84話
(――彼岸花の群生……)
さらに視線を伸ばすと自分の住むマンションが見える。そうだ、この川岸を歩くなんてこと、今までしたことがなかった。
「今朝、外を見たら川沿いが赤かったけえ、もしかしたらと思ったんです。俺の家の近所の川原も凄いけど、ここはもっと凄いな」
膝の丈ほどに咲く深紅の花は、吹く風に小さく揺れながら夜空に向かってその細い花びらをいっぱいに広げている。
笹木は航平に手を繋がれているのも忘れるほど、その光景に心を奪われた。
「彼岸花、またの名を曼殊沙華とか死人花《しびとばな》。どうしても日本じゃ、忌み花みたいなイメージじゃけど、学名はリコリス・ラディアータって可愛い名前なんです。リコリスはギリシャ神話の海の女神の名前なんじゃって」
「……それもバイト先の人に教えてもらったの?」
はい、と航平は照れたように笑った。それにつられて笹木も航平の顔を見上げると、ふふっと笑みをこぼした。笹木の笑顔を間近で見下ろす航平が、
「やっぱり笹木さん可愛いわ」
「えっ? 可愛い?」
今度はびっくりして笑顔が引っ込んだ。航平は言った台詞とは違い真剣な眼差しで笹木を見つめている。先ほどから鼓膜の近くに心臓があるみたいに自分の鼓動が響いて仕方がない。また視線を逸らそうとした笹木の手を、きゅっと航平は握りしめた。
「兄ちゃん、この深い赤い色が好きじゃったんです。燃えるようなのにもの悲しい。そんなちぐはぐな感じが好きじゃって」
純也らしいな、と笹木は自分達を取り囲む花を眺める。すると航平が空いている左手を笹木の目の前に翳して、そして下を指さした。
「でも、俺はこの燃えるような赤よりも白のほうが好きです」
向かい合って並び立つ自分達の間の足元、航平の示したほうへ顔を向けて笹木は、あっ、と小さく声をあげた。
そこには周りの情熱的な赤の中に浮かび上がる清廉な白の花があった。ひと株だけなのだろうか、周囲に溶け込むこともなく凜と咲くその白い花弁に笹木の瞳は吸い込まれていった。
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