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第85話

「笹木さん。俺は昨日、笹木さんに嘘をつきました」 「嘘?」 「リコリスの花言葉を忘れてしもうたって。けど、本当は忘れてなんかおらんかったんです」  笹木は白い花から顔を上げた。そこには変わらずに真摯に笹木を見つめる両の瞳。今度はその瞳に吸い込まれる。 「……花言葉はなに?」  自分の声がやけに霞む。でも、航平は笹木の消えそうな言葉に静かに微笑みを浮かべて、そして、ひと言、 「悲しい思い出」 (――悲しい思い出……)  川面から吹く風にさわさわと揺れる赤い花達。彼岸花、曼殊沙華。そして死人花……。 (そうか。亡くした人を思う悲しい気持ちがこの花を象徴しているのか……)  ふいに航平が上体を屈めて白の彼岸花へ手を延ばした。摘んでしまうのかと笹木は航平に握られていた右手で航平の手を握り返す。航平は笹木の意図が解ったのか、指先で白い花弁をいとおしそうに撫でて花から手を離した。 「花言葉まで寂しいものなんだね」  上体を起こす航平に笹木がぽつりと呟くと、 「でも、あの花言葉は赤い花のです。白は違うから」 「同じ彼岸花でも色によって違うのか。じゃあ、白い彼岸花の花言葉は?」  航平はすぐに答えを言わなかった。何かを戸惑うように体を小さく揺らしたあと、ふっとひとつ短く息を吐き出して笹木を真正面から見据える。握っていた笹木の手をゆっくりと離すと、航平がその言葉を紡いだ。 「白い彼岸花の花言葉は、――想うのはあなたひとり」  その言葉の意味を理解するのに時間がかかった。 (――想うのは……。あなただけ……) 「ここの彼岸花、まるで兄ちゃんみたいじゃ」  航平は眼下に拡がる赤い花をもう一度見渡した。そして少し寂しそうに笑うと、 「こうやって笹木さんの心の中を埋め尽くしとる」  ……でも、それは悲しい思い出の数々だ。  航平はそう言いたいのだろうか?

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