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第87話
(――この想いを受けとめて、僕が彼の輝かしい未来を閉ざしてもいいのだろうか……)
純也がいなくなって、周囲の人たちは航平に期待をしていたはずだ。
『兄の二の舞だけは踏まさない』
それは航平に、ありふれた普通の人生を歩んで欲しいということだ。普通に大学を出て、普通の仕事につき、普通に異性と恋愛をして普通に家庭を持って……。
この世界の大多数が送るであろう幸せな人生。それはこのまま自分が彼を受け入れなければ、彼に約束された人生だ。
航平の想いはとても嬉しい。でも、それには応えられない。いや、その資格さえ無い。
(やはり僕はもう彼の前から消えたほうがいいのかもしれない……)
「……笹木さん。今、余計なことを考えとるね」
航平の問いかけに笹木は我に返った。指先で軽く触れられていた頬は、今は大きな手のひらで包まれていた。
「……余計なことじゃない」
いつの間にか抜かされていた背丈。たった五年の歳月は航平を少年から大人の男へと変えてしまった。なのに自分はあのころのまま、時間の流れに為す術もなく彷徨っているだけ。
見下ろす航平の視線が怖い。目を合わせると、きっとこのまま縋りついてしまう。彼の胸に体を預けることだけは何としても避けたい……。
「笹木さんのなかの兄ちゃんの存在を消して欲しいとは言わん。じゃけどほんの少しだけ、兄ちゃんを想っとったのと同じように俺を好きになってもらえんじゃろうか」
どうして今のままでは駄目なんだ?
彼のこれからの美しい人生を、遠くで見守るだけではいけないのか?
視線を背けたまま、黙り込む笹木に向かって航平の顔が近づいてくる。航平が何をしたいのかが判って、笹木は唇が重なりあう寸前に顔を逸らした。
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