90 / 125
第90話
(――だからといって、君をこのまま受け入れられるわけ……)
「俺は明日、広島に帰ります」
航平がはっきりと切り出した。そうだ、彼は明日帰ってしまう。今度会えるのはまた来年の夏……。
「来年、笹木さんは広島に来んかもしれん」
びくりと肩が跳ねる。確かに自分はさっき彼にそう言った。なのに今はどうだ? 行かないつもりだったのに、また一年間も彼に逢えないのかと寂しい気持ちになっていた。
もう、自分の決心が揺らいでいる。それは彼が真剣に放つ熱い視線に晒されているからだ。
「だから今、はっきりしときたいんです。兄ちゃんの弟としての俺じゃない、一人の男としての俺のことを好きか嫌いか、はっきりして欲しい」
(もしもここで彼を嫌いだと言ったら……)
そんなことは笹木には到底無理だった。だって囚われてしまったのだ。航平の熱い瞳に。
この青年に嘘は通用しない。いや、自分がどんなに隠そうとしても、この想いは吐息のように漏れ出している。そして航平はそれを鋭く嗅ぎ取っているのだから。
笹木は今度は意思を持って航平の視線を受け止めた。五年前、原爆ドームを望む川岸のベンチで声をかけられたときから、こうなることはわかっていた。亡くした恋人の面影を薄く残した少年を愛おしく思ったのは確かだ。そして、逞しく成長した彼から恋人の面影が無くなっても、その想いは消えるどころかより一層輪郭を際立たせたのも確かだ。
純也に感じたのとは違う想い。航平だけの、航平のためだけのこの気持ち。
――彼を失いたくない。
頭の片隅には駄目だと押し留める自分がいる。しかし、そのシンプルな想いに笹木は突き動かされた。
「航平くん。……僕は、前から、君のことが……、す……」
急に目の前の航平が弾かれたように笹木を力一杯に抱きしめた。ぎゅうっと両の腕に締めつけられて、戸惑いがちに言った言葉が途切れてしまう。それでも航平は笹木をかき抱くと、何度も笹木の名を呟いた。
ともだちにシェアしよう!