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第119話:リコリスの咲く夜空のしたに【エピローグ】

 机の上に置いたスマートフォンが小さく震える。笹木はそれを手に取って液晶画面を確認すると、眼鏡の奥の瞳を少し見開いた。  ――夕方、成田に着くよ。今夜は久しぶりに智秋さんの手料理が食べたい。 (……、帰国は明後日の予定じゃなかったっけ?)  そう思っていたら、もう一つ吹き出しが現れて、  ――赤ワインを買ったから今夜飲もう。和食希望。 「部長? どうされましたか?」  急に声をかけられてハッと画面から顔を上げる。そこには部下の女性社員が書類を差し出しながら立っていた。ああ、と彼女から書類を受け取り、内容を確認して決済印を押す。書類を返し、にこやかに立ち去ろうとした彼女にふと、 「あのさ、赤ワインに合う和食っていったら何がいいと思う?」  瞬間、キョトンとした彼女は次に、ああ、と何かに気がついて、 「そうですねえ。(ぶり)の照り焼きなんていいかもしれませんね」  鰤か、と独り言ちた笹木の様子に彼女は、 「笹木部長。明日は休みですから今日は残業せずに早く帰宅してください。……お久しぶりにの彼が長期出張から帰ってこられるんでしょう?」  全てわかってますよ、と言わんばかりにニコリと笑った彼女が軽く頭を下げて自分の席へと戻っていく。女性比率の多いこの職場で特別自分のことを話したわけではないのだが、何となく彼女達には同居している彼との関係を知られているようだ。 (それもそうか。一緒に暮らし始めてもう八年になるし……)  笹木はパソコンの画面で新商品のプレスリリース草案を確認しながらも、副菜は何にしようか、と全く仕事とは関係のないことを考えていた。

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