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第11話
大混乱の屋敷を夜の間に抜けた私は、用意されていた自国の屋敷に落ち着いた。
久しぶりに真っ当な服を纏い、足枷も首輪も当然外された。
「お迎えが遅くなって本当に申し訳ない、アスラン殿下。貴方の不幸を聞いた時にはこのバルズィーン、生きた心地がしませんでしたぞ」
「バルズィーン、泣くな」
巨漢の将兵は鼻の頭を赤くして男泣きする。それを私は慌てて慰め、苦笑する。その隣りにはずっと跪いたまま姿勢を崩さないナストゥーフがいる。
「一体、何が起こっていたんだ。ナストゥーフ、お前は……」
「俺は長年隣国に潜伏していた間者です、アスラン様」
「間者!!」
思わず大声が出た。バルズィーンはガハガハと笑うが、笑い事じゃない。そしてナストゥーフは涼しい顔のままだ。
「隣国は長年、領土を狙っておりました。更に数年前からは貴方を狙っている者がいると聞き、国王陛下の命で動いていたのです」
「数年とは……」
「約七年です」
「そんなに!」
涼しい顔のナストゥーフに私は目を剥く。驚くべきは彼の能力だ。七年で敵国の懐に入り込んだなんて。
「ナストゥーフは優秀ですぞ、殿下。今や国王陛下も一目置く人物です」
「バルズィーン将軍の足元にも及びませんが」
ガハガハ笑いながら背中をバンバン叩くバルズィーンに迷惑な顔をしながらも、ナストゥーフは穏やかなままでいる。
「今回貴方の事を知り、国王陛下はそれはお怒りでしてな。いやはや、宥めるのに時間がかかり申した。だがナストゥーフがすぐに身柄を確保したと連絡してきた故、戦争とはならなかったのです」
「だが、ナストゥーフは……」
私の味方であったなら、どうして私を苛んだんだ。どうしてそれを、明かしてくれなかったんだ。
頼りなくナストゥーフを見るも、畏まった顔をするばかり。急に遠のいた距離が寂しい。腕を引き、助け出してくれた時には近かったはずなのに。
「あの屋敷はスルヘ王子の別邸。あそこで信じられる人間はサリフのみで、常に監視の目がありました。その場で貴方に肩入れしては余計に危険と判断し、恐れ多き事ながら敵の将兵であり続けるしかありませんでした」
「そう、か……」
少し、期待した。触れてくれたのは…多少の気持ちがあったのではと。
いや、馬鹿な事だ。私のせいで彼は生死の境を彷徨ったのだぞ。私はその事さえも忘れていたのだ。そんな相手を想ってくれるわけがない。触れたのは、仕方なしにだったのだ。
「ナストゥーフ、せっかく殿下がお前を思い出したのだ。もう少し愛想良くできんのか?」
バルズィーンが眉を寄せてグリグリとナストゥーフを突く。それに面倒臭そうにするナストゥーフは、僅かに揺らぎを見せた。
「そうだ。お前は私を知っていたのに、どうして何も言ってくれなかったんだ。いや、そればかりではない。父の側にいたのならどうして言ってくれなかったんだ」
もっと早く知り合いたかった。もっと早く思いだしていればよかった。そんな気持ちが心を過ぎる。
だがナストゥーフは静かに私を見るばかりで、臣下の礼を取っている。
「国王陛下とのお約束です」
「約束?」
「貴方が自ら俺の事を思い出すまでは、名乗り出てはならない。名乗りを上げる事はあっても、過去の関係を伝えてはならないと」
「どうして!」
「貴方が記憶を閉ざしたからでございます」
「っ!」
静かな青い瞳が私をジッと見ている。それを言われれば、私に言葉はない。責められても仕方のない事なのだ。
「当時、貴方はショックのあまり寝込み、起きた後は徐々に俺との記憶が薄れていったと聞きました。国王陛下は無理に事実を伝える事で貴方が再び不安定になる事を恐れたのです。その為、自然と記憶が戻るまでは伝えてはならぬと」
「すまないナストゥーフ!」
立ち上がり、前にきて手を握った。触れる距離にある青い瞳に、僅かな温もりが宿った。
「思いだしてくださった時、どれほど嬉しかったかしれません。敵地でなければ喜びのあまり抱きしめたでしょう。俺は一度として、貴方を忘れた事はありません」
「恨んで、いないのか?」
「恨んでなどおりません。貴方は俺の太陽です。尻込みする手を取り、明るい場所へと引き上げてくださった。いつもいつも、貴方の笑顔が俺に勇気を与えていたのです。幼い俺の側で、貴方という太陽は常に輝いていました」
ふわりと緩まる表情を、私は知っている。幼い時分、私の隣りに常にあった柔らかな笑みだ。
「すまない、ナストゥーフ。お前を忘れた私は、恨まれて当然だと思っていた。お前の気遣いも、心も知らずお前を恨み、酷い事を言った私を許してくれ」
「そう思われて当然の振る舞いをしたのです、貴方に恨まれて当然です。俺こそ、申し訳ありませんでした。敵の目を欺く為とはいえ、貴方に無体を働いた事をどのように詫びればいいか。必要とあらば、どのような贖いも致します故」
「必要ない」
「ならば、もうこの件は水に流しましょう。貴方は俺を忘れたことを。俺は貴方に働いた無体を」
「側にいてくれるだろうか」
「貴方がそう、望むのでしたら」
感極まって、私はナストゥーフの首に抱きついた。驚くナストゥーフがほんの少し、可愛く思えていた。
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