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第72話
「……お、お止めくださいっ……その方は――泣いているではありませんか」
しまった、と心の中で後悔した時には既に遅く――己でも制御できない内に怒りを露にしている【満月・花魁】へと向かって口を開いていた。
その際、責められている自らに対して唐突に声をかけられた【新月・睡蓮花魁】が目を丸くしながら僕の方へ目線を向けてくる。まるで、どうして己を庇ったのか――と僕に問いかけてくるように少し茶色がかった美しい瞳で真っ直ぐに見つめながら悲しげな表情を浮かべているのだ。
「ああ――?なんだい、この薄汚え餓鬼は!?おい、旦那……この生意気な面をした薄汚い餓鬼は、何処のどいつだ?」
「ええ、と―――何と言うていいやら……えー……」
本物の蛇のように恐ろしい顔つきをしている【満月・菫花魁】から、ぎろりと冷たい瞳で睨み付けられた僕は――びくり、と体を震わせて思わず後ろに一歩後退りしてしまう。
【満月・菫花魁】の余りの剣幕に先程までは僕に悪態をついていた旦那さんは【弦月・水仙花魁】に対してよりも明らかに狼狽し、張り付けたわざとらしい笑顔で気を使いつつ媚を売り、必死でご機嫌取りをしようとしていた。
――ドンッ!!
後退りしてしまったせいで、後ろにある壁にぶつかってしまった僕はよろけてしまい、その拍子に【弦月・水仙花魁】から貰った口紅の容器が床に落ちてしまう。
ころ、ころと床を転がっていき、紅が入っている容器の動きがようやく止まった先は――有ろう事か、落ちたそれを追いかけて拾おうと身を屈めている僕を激しく睨め付けてくる【満月・菫花魁】の足元だったのだ。
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