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第90話

「ああ……憎い、憎いっ……憎らしや――っ……よそから来て、まして王宮から来たという事実をわっちに隠していたあんたらも……この逆ノ目郭という異様な世界を作っただけじゃなくわっちから睡蓮を奪おうとするこの狸爺も……異様な世界からわっちと睡蓮が逃げる事を認めようとしない水仙―――おめえも、全て……全てが憎い」 ――バシッ…… ――バシッ…パシッ 「お、お止め……お止めくださいませ――水仙兄様!!このような事を――望んでなんかおりませぬ……じきに、女将さんがこの部屋に来ます――星屑糖を撒いておいたのも半分はそのため――兄様、やはりこんな事は間違いでした……きちんと罪を……」 般若のような恐ろしい笑みを浮かべている水仙花魁から容赦なく鞭打ちされる僕の身を――小柄で可憐な睡蓮花魁が僕へと覆い被さりながら身を呈して守ってくれようとする。 すると、その直後―――水仙花魁が僅かな戸惑いの表情を浮かべつつも鞭打ちする手を途端に止めた。 「す、睡蓮……っ…………おまえ……本当に裏切る気でありんすか!?わっちは――わっちは、ただ……愛するお前とこの逆ノ目郭という異様な世界から逃れたかっただけなのに―――」 「―――水仙兄様、それでも……よそから来たこの子らには関係ないのです。それは、単なる八つ当たりでしかない。それに、何ゆえ……この逆ノ目郭をそんなにも憎まれているのです?この素晴らしい逆ノ目郭を―――」 その睡蓮花魁の疑問の言葉を聞いた途端に、手に持っていた床を畳の上に投げつけるようにして落とした水仙花魁は――ふっ、と軽く口元を歪ませて微笑むと――そのまま、畳の上にその身を拘束されたせいで芋虫のようにうご、うごと蠢かせながら苦し気に呻き声をあげている旦那さんの元へと足音が聞こえないくらいに静かにゆっくりと歩み寄って行くのだった。 ――ずぶっ…… 「ぐっ……ぐぁっ……!!」 「睡蓮……あんたのその言葉で―――わっちは鬼になると決めたでありんす……この狸爺の命が惜しりゃ……その裏切り者でよそ者の……めんこい童らを拘束するでありんすよーー逃げられたら台無しやさかいな。わっちは本気やから……睡蓮、兄であるわっちの願い――聞いてくれるでありんすよね?」 にこり、と美しく妖艶に微笑みながら―――小刀を手にして旦那さんのでっぷりと膨らんだ腹へとその切っ先を突き刺した水仙花魁があまりの出来事に悲鳴をあげながらガタガタと小刻みに震える可憐な睡蓮花魁へと強い口調で冷たく言い放つのだった。 旦那さんの返り血で真っ白な着物を汚す水仙花魁は正に鬼だ、いや――睡蓮花魁のある言葉を耳にした瞬間から鬼と化してしまったのだと――絶望の足音が刻一刻迫りつつあり、じりじりと後退りしながらも僕はそんな事を心中で思うのだった。

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