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第92話
「ど、どいつもこいつも……何故に、わっちの邪魔を……っ……わっちは、わっちはただ――この異常な……洗脳じみたこの狂った逆ノ目郭から逃れたかっただけでありんすのに……大好きな睡蓮と――この異常な世界から逃げたかっただけ……そもそも、この死に損ないが逆ノ目郭さえ―――作らなければ……」
――ぐりっ……ぐっ……
僕と出会ったばかりの頃の優しい水仙花魁は――既にいない。狂ったような虚ろな表情を浮かべ、息も絶え絶えの旦那さんの体を憎しみを込めながら踏み続けている無慈悲な鬼が存在するだけだ。
「ふん―――どのみち、もう遅いわ……狂った逆ノ目郭を包む火の手は刻一刻と迫ってきとるでありんす……それに……」
―――ぐさっ……
「邪魔者のあんたらに一泡吹かせてやるくらいなら……わっちはここで睡蓮と共に――心中するでありんす……なあ、睡蓮――おめえもわっちと共に――来てくれるでありんすよな?」
「い、いいえ……いいえ―――水仙兄様、そのような方法は間違っています……きちんと生きて――罪を償います。そろそろ……女将さんが―――島の消防団の皆様を連れて――ここにっ……来てくれる筈ですから」
先程、燗喩殿が睡蓮花魁の足元に投げつけた金色の切っ先が針のように鋭く細工された仕掛け簪を拾い上げ、震える手で己の胸元に突き付けながら水仙花魁に問いかけられた彼は迷う事なく堂々とした口調で鬼と化してしまい狂った兄へと答える。
「それに……それに、水仙兄様を恋愛込みで愛するなどあり得ません―――血の繋がった兄弟同士だからというだけではなく、このような残酷な事をする貴方様を心の底から愛するなど虫酸が走ります。私が愛するのは、ただ一人――貴方がさっき死に損ないと仰ったこの方だけでございます」
「全部―――お前の為だったのに……わっちの愛する――睡蓮……」
傍らにぐったりと倒れ込む郭の旦那さんを愛しそうに抱きしめながら、嘘偽りのない思いを告げる睡蓮花魁の言葉を聞いた水仙花魁はそのまま脱力するかのように――がく、りと畳の上に座り込み頭を項垂れてしまう。
そして、その後――どた、どたと慌てた足音を響かせながら何人もの島の消防団が部屋に入り込み、炎や黒煙の魔の手に包まれる探ノ目郭から――ようやく全員が救い出されるのだった。
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