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第106話

◇ ◇ ◇ ◇ ―――この桜の木の真下に来てから、どれ程の時刻が過ぎたのだろうか。 閉じていた瞼をゆっくりと開けた後、真っ先に飛び込んできたのは墨汁を垂らしたかのように真っ暗な夜の空と――そして、次に飛び込んできたのは目を覚ましたばかりで未だに微睡みかけている僕の顔をどことなく心配そうに覗き込む王花様の姿だった。 「わ、王花様―――何故、このような場所に……っ……!?」 急に予想もしない王花様の姿を見て驚いてしまい、思わず飛び起きてしまった僕はごんっと音がしそうな程に強く桜の枝に頭をぶつけて涙ぐみながら両手で擦りながら――少しだけ遠慮がちに王花様へと尋ねる。 「…………」 だが、やはり王花様は――言葉を話さない。 ―――すると、 「実に愚かだ……其処で呆けた顔をして眠っているお主が――気になるからに決まっているではないか。お主、そのように単純な事すら分からない阿呆なのか?」 桜の木から少し離れた場所で――久方ぶりに聞いた男の声。 それは、王宮を抜け出す前は――どちらかといえば僕を蔑んでいた側の世純の声だった。 「……せ、世純様――久方ぶりでございます。王宮を抜け出す前には助言を下さり、有り難うございました」 「ふん……白々しい。お主は、ただ運が良いだけの事だ――だが、まあ……我がいわれなき罪を被せた燗喩を連れ戻してくれて……感謝する。お主が燗喩を連れ戻さなければ――我はまた罪を繰り返していたに違いない……それをお主は気づかせてくれた」 その言葉を聞いた時、僕は以前はあれ程苦手だった世純が――根っからの悪人ではない事に気付かされるのだった。 「あ、あの……世純様――もしかして、あなた様が王花様を此処に連れて来て下さったのですか?」 「致し方ないだろう……本当は燗喩に任せようとしたが、奴は公務が忙しいからな……心が壊れたからとはいえ王位後継者の王花様を放っていく訳にいかぬ……何よりも、王花様に危機が迫りお主が傷つく顔は見たくはなかった――面倒事は御免だ」 そっぽを向きながらそう答える世純に対して――言葉に出来ずとも心の中で静かに感謝する僕なのだった。

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