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Ⅲ【トリスタン】 第1話

仮面で隠した素顔 仮面の下には、お前の知らない俺がいる…… 首筋を上った指先の冷たさに震えた。 顎を持ち上げた指が、銀の仮面をなぞった。 ……仮面の下の顔を、さらされてしまう。 「取るなッ」 声は…………………… 月下に浮かぶ白い機影が放った。 「ナツキは目を患っている。だから仮面を」 「αァァァァーッ!!」 銃口が牙を剥く。 《ローエングリン》のユキトを捕らえる。 「なぜ知っているッ」 Ωの兵士も 誰も 誰ひとりとして 知らない統帥の素顔 仮面の下の顔 (俺の知らない統帥をッ) 「貴様がなぜ知ってるんだァァッ!!」 発砲 ………の銃声は響かなかった。 銃身を奪い、アキヒトの右手ごと握った拳銃を喉元に突きつけた。 「俺をなめるな」 銃口をアキヒトの喉に押しやる。 「交渉(ここ)は俺の戦場だ。交渉は、まだ継続している」 「……統…帥っ」 「お前も俺の交渉材料になれ」 我が騎士 アキヒト 理解したか…… 拳銃を握る右手の強張(こわば)りが解ける。 「銃をおさめろ。そして……」 冷たくなった頬に、手を置いた。 誓いを刻んだ右手の指で、唇をなぞった。 「俺に口づけをしろ……」 月が時をさらう。 呼吸さえ、月光に飲み込まれる。 「だが素顔は、誰にも知られたくない。 口づける時、お前の手で俺の顔を覆ってくれ」 「分かりました」 月象に溶けた琥珀の蜜蝋(みつろう)が、ゆっくり近づく。 見慣れた筈のアキヒトの顔なのに…… 月を浴びた琥珀の双眸に、心音が跳ねた。 「……仮面は、俺が外す」 瞳がうなずいた。 (信じている……アキヒト) 俺を想う、お前の心を 俺の素顔を見ても、お前は変わらずいてくれる………………そう……………… (お前を信じている) カラン、カランッ 月夜の光 銀の闇がこぼれた。 明るみに映す月光に、黒髪が翻った。 白い陶磁の肌の上 右の目に、漆黒の眼帯が巻かれている。 宵の風に漆黒が流れる。 結び目をほどく。 湖上に吹いた風に奪われた眼帯は、月夜の淵に消えていった。 睫毛を上げた。 左眼の淡く澄んだスミレ色とは対照的な……… 彼岸花よりも赤く 血よりも濃い、右眼 紅蓮の玲瓏が、月夜の(たもと)に立つ彼を見上げた。 「恐いか」 「なにも………」 琥珀の瞳に見つめられて、あたたかい唇がそぅっと右眼の瞼に触れた。 両手の平が頬を包んだ。 世界にたった一つだけの宝石に触れるように…… 優しく、優しく…… 唇と唇を重ねる。 舌先が入り口をつつくから、少しだけ唇を開くと、ねっとりと湿った舌が侵入してきた。 舌を絡めとって、口内の上顎と下顎をなぞって侵して、角度を変えて何度も、何度も。 唾液を交換する。 これで、いいんだ……… これで……… あいつは、α 俺は、Ωなのだから 「……フヮ」 くぐもった吐息が漏れた。 ようやく唇が離れた時、どちらのものかも分からない唾液がつぅっと透明な糸を引いた。 月夜の湖上 ふらりとよろけた体を、逞しい腕が支える。 「……アキ、ヒトっ」 やりすぎだと、うらみがましく睨めつけたが。 腰に回した腕が、俺を引き寄せた。 「騎士(ナイト)は捨て駒にはなりませんよ」 意識的に背後に流したアキヒトの視線に、俺は気づかなかった。 白い機影に立つ、ユキトに…… 挑戦的な双玉がユキトを牽制する。

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