95 / 288

Ⅴ【マルク】第19話

「残念だな。紹介してほしかったんだけど」 空になったグラスに、二杯目のワインを手酌で注ぐ。 「弟の恋人に挨拶したくて、マルクまで赴いたのにな」 嘘だ。 副総理は、そんなに暇な職じゃないだろう。 ……それとも、もう酔っぱらっているのか。 「ここはΩ政策強行派の艦ですよ。恋人ができる訳ないでしょう」 「それもそうだ」 けれどね…… 「萌えるじゃないか?禁断の恋っやつは」 クスリ、と笑って赤いワインに口づけた。 「お前も恋をしたら分かるよ。片想いでもね。切なくても、相手を想うと気持ちが満たされるんだ」 兄上がボトルを傾けるから、残っていたワインを一気に飲んで、グラスを空ける。 「まるで、兄上は恋をしているようですね」 「しているさ」 ………………ハっ? なみなみグラスに注がれたワインを、こぼしそうになった。 兄上が? 恋?……… 「顔に出過ぎだ。あからさまに驚かれると傷つくな。私も男だよ」 「すみません」 「謝るところじゃないだろう。私は今も片想い中だよ。……日本国という恋人にね」 ……あぁ、そういう事か。 心のどこかで、ほっとした自分がいる。 「………………けれど」 グラスを傾けた。 ワインを一口、口の中で転がす。 「私は浮気者でね。新しい恋人ができそうだ」 ………兄上? 「お前は『運命の(ツガイ)』を信じるかい?」 αとΩは互いに引き合う。 この世界には、運命で結ばれたαとΩがいる。 世界に一人のα 世界に一人のΩ 二人は運命に導かれて結ばれる…… 「……そんな運命があればいいと思いますが。その運命に出逢う事自体が稀です」 ワインで唇を濡らす。 透明な硝子の中で、赤い雫が傾いた。 「けれども、もしも……世界にたった一人の運命のΩと、俺が出逢う事ができたならば。 俺はその運命を、世界中を敵にまわしてでも守ります。 世界が敵でも、俺は運命のΩを幸せにするために……戦います」 ナツキ……… 唇が紡ぎかけた愛しい名は、赤いワインで流し込む。 「さすがは、我が弟だ。正解だよ、ユキト」 しかし。 「半分、不正解だ」 コトンッ テーブルに置いたグラスが波打つ。 正面には、悠然たる余裕を構えた漆黒の玲瓏がある。 「運命の『番』となれるのは一組だが……」 運命のα × 運命のΩ 「運命の組み合わせは、一通りであるとは限らない」 フッ……と。 「例えば。運命のΩ一人に対して、運命のαが二人以上の複数人、存在し得る場合もある」 口の端が弧を描いた。 「考えてもみろよ。運命のαと運命のΩが一人だけだと、誰が証明したんだ?」 「兄上?」 「これはね、確率統計の問題なのだよ。 運命が引き合う確率は、非常に稀有(けう)だ。運命のαと運命のΩが出逢う確率が稀であるがゆえに。 世界の人間は、運命のαと運命のΩが一人ずつだと思い込んでいる」 仮に運命のαが二人、運命のΩが一人いたとしよう。 三人が同時に出逢う確率は、運命のα一人と運命のΩ一人が出逢う確率よりも更に低くなる。 ただでさえ、運命のαと運命のΩが出逢う確率は低いのだから。 運命のα二人と運命のΩ一人が、同時に出逢う現象はまず起こり得ない低確率だ。 だが。 「確率は0ではない」 数字は正直だ。 「0でなければ、出逢う可能性がある事を証明している」 その唇が、グラスのワインの最後の一滴を飲み干した。 「お前だけが『運命』じゃない」 赤く濡れた唇が、静かに吊り上がった。 「私が貰うよ。あのΩを」 名前は確か、そう…… 「ヒダカ ナツキ、だろう?」

ともだちにシェアしよう!