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Ⅴ【マルク】第20話

光を落としたグラスの中で、血色の雫が揺れた。 それを見つめる黒い双眼は、肉食獣だ。 狙った獲物を仕留める、狩りの本能 否 雄の本能だ。 (なぜ……) 気づかれた? どうやって? (兄上は、ナツキに辿り着いたんだッ) 生体識別データは『血のバレンタイン事件』で破壊している。 Ω管理システムは使えない筈だ。 では、本当に …… (兄上は、ナツキの『運命のα』だというのか) じゃあ、俺は? 俺は何だ? (俺はナツキのα……) 俺が、ナツキの『運命のα』だ! 「独房で彼を見た瞬間、記憶が甦ったんだ」 グラスに落とした眼差しが、赤い海に沈んだ過去を映していた。 「三人で……お前と私、そしてナツキと過ごしたあの頃が鮮明に甦った」 (俺と同じだ) そう…… 琵琶湖で《ローエングリン》を駆り、刃を交えたジェネラルの戦闘で…… 俺は、確信したんだ。 銀の仮面の下に、ナツキがいる…… 電流のように。 記憶が甦った。 顔も、声もいらない。 魂と魂が叫んだんだ。 ぶつかり、呼応し、共鳴した。 運命と運命が交錯し、新たな運命が廻り出した。 空を割った雷光のように。 眩しく鮮やかに、過去の記憶が失った時間を繋いだ。 運命の歯車を、再び回転させた。 (俺と、兄上は同じだ) 俺はナツキの『運命のα』で、兄上もまた『運命のα』 同じ時代、同じ場所に『運命のα』は二人いる。 それも、兄弟という因縁に結ばれて…… 「皮肉なものだ」 グラスに落ちた黒い瞳が、ワインの赤に揺れている。 「この世界に運命は存在しない。運命とは、人生の岐路における選択を重ねた結果の必然的事象だ」 それが信条であったが……… 「この運命にだけは殉じるよ」 過去を映したワインの赤に、ゆっくり唇を口づけた。 「お前が彼を想う分も含めて、私が彼を幸せにする。 ユキト、身を引いてくれ」 カツン…… テーブルの上で、光を吸い込むグラス 赤い水面(みなも)が揺れる。 「ナツキが欲しい」 兄上……… 俺達の運命は、互いの歯車を激しくぶつけて逆廻りし出した……… あの頃は、まだ気づかなかった。 三人で過ごした、あの時間は………幸せでした。 幼かったから 気づかない幸福がありました。 いま、思い返せば。 気づけない不幸だったのかもしれません。 取り返せない不幸は、俺の未来で(あがな)います。 (あなたの未来に、ナツキはいない) 喉が焼けるように熱い…… 光の墜ちたテーブルの上 透明なグラスにたゆとう真っ赤なワインを、全て流し込んだ。 「これが、俺の答えです」 「喧嘩の売り方が上手くなったじゃないか」 口角を上げた瞳は笑っていない。 「飲んだんだね、王のワインを」 その覚悟は…… 「私に代わって、お前がナツキの王になるか。 それとも、ナツキという王に殉じるか……どちらなんだろうね?」 私を(たお)すか…… 私の刃に斃れるか…… 「騎士を気取るか」 「騎士にはなりません」 俺は……… 「俺の全てでナツキを守りたい。ただ、それだけです」 もう一つのワイングラスが揺れた。 「……哀しいね」 グラスのワインを兄上が飲み干す。 「そんな覚悟では、過ちを犯すだろう。 お前があの日、ナツキに犯した過ちを再び……」 バリンッ 叩きつけられたグラスが、透明なカケラとなって床に飛散した。 「お前にナツキを傷つけられるくらいなら、私がナツキを傷つける」 飛び散ったガラスがギラギラと、落ちた光を浴びて燃えている。 「傷つけてでも、ナツキを手に入れるよ」 運命と運命が(きし)み、不協和音を叫んだ。 崩壊の楽章が産声を上げる。

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