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Ⅵ【ファウスト】第39話
「妻をさらった誘拐犯は自爆した」
全て見透かされていた。
「最早逃げ切れないと思っての自殺だろう。何をしている!消火を急げ!
犯人に繋がる遺留物を見つけろ」
「Alles Klar !」
消火器を持った兵士達が走る。
炎上するボートを囲んで、消火器を一斉噴射する。
火の勢いが強く、一回の噴射では消えない。
……出てくるわけない。
遺留物も、遺体も。
犯人なんていない。
ボートの中には誰もいなかったのだから。
自作自演だ。
あなたが撃ったんだ。
一発の銃声が、ボートを爆発させた。
そこにあたかも犯人が潜伏していたかに見せかけて。
犯人に繋がるものを隠滅した。
架空の死で。
俺達を生かしたまま……
思考は読まれていた。
黒の支配者 に
あなたがここに来たのは、偶然ではない。
侵入者が逃亡するには、艦が陸に着くのを待って脱出するか、ボートで脱出するかのどちらかだ。
拳銃の弾でボートが炎上する筈ない。
恐らくボートには、予 め火薬が積まれていたんだ。燃えやすいように。
ハルオミさん、あなたが全て仕組んだ事なのでしょう。
あなたは、どうして俺をッ
「お帰り」
痛いくらいに、きつく……
手首を掴まれて、立たせられたのと同時に体を体温が包んだ。
「濡れてしまったね。寒くないかい?」
頷く事で精一杯だ。
体温はあたたかいのに。
体が震えている。
なにも考えられなくなる。
この腕の中で……
今も俺は、この人に思考を読まれているのか……
「ナツキ、私を抱きしめてくれないか」
力強い両腕で、体がハルオミさんの厚い胸板に吸い込まれる。
「君の温もりをもっと感じたいんだよ。大切な妻の無事を喜びたい」
吐息が耳朶にかかった。
「……ナイショの話がある」
「えっ」
「ダメかい?」
思わず見上げた彼の目は、いつもと変わらぬ藍の色をしている。
……腕を伸ばして広い背中を包んだ。
「ありがとう」
木洩 れる呟きに、胸の奥が暖かく疼いた。耳を掠めた声さえも、敵のαだというのに。
『中から変えろ』
『私を利用して日本国を操れ』
……とまで言ってくれたこの人を裏切ろうとした俺を……
まだ妻と呼ぶ。
どちらの道を選んでも、裏切りなんだ。
Ω解放軍に戻っても。
マルクに残っても。
裏切らなければ、先に進めない。
手繰り寄せたハルオミさんの体
逞しいこの腕の中にも、未来があるんだ。
俺達の未来が………
「本当の事を教えてくれ。約束する。彼の命を救おう」
藍色の双眼が見据えた先にいるのは……
アキヒト
ハルオミさんが、アキヒトを助ける?
αが、βを
なんの見返りもなしに。
弟を撃ったアキヒトを。
「彼は、神聖プロイセン帝国 グライス大使の息子かい?」
「違う」
アキヒトは日本人だ。
ハーフという話も聞いた事ない。
「彼の名は?」
「テンカワ アキヒト。俺の騎士だ」
我が妻の騎士は、テンカワ アキヒトか……
「ありがとう」
なぜか
背筋に冷たいものが走った。
言葉の真意に潜む棘が、ひどく苦しくて。まるで硫酸で焼かれたような……
俺の肩を抱いたまま、右手が濡れた前髪を撫で上げた。
天を見据えた藍玉の双瞳が、美しい光を帯びている。
「盤上の駒はそろった」
チェックメイトだ。
「《トリスタン》発射命令を下せるよ」
ひどく優しい言葉が、心臓に撃ち込まれた。
ハルオミさん………
なんて言ったんだ………
「ハルオミさんッ!!」
肩に添えられた手が首筋を伝う。
そっと、静かに……
「ナツキ……」
優しい指が顎を持ち上げる。
「国の規範をつくるのは私だよ」
顎の下をなぞった爪が引っ掻いた。
ドクン、ドクン
不規則に脈打つ。煌めいたサファイア双玉が鼓動を締めつける。
その瞳に思考を侵食 されている。
「私が国家だ」
こんなに美しく深く沈んだ藍色の宝石を、俺は見た事がない。
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