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Ⅵ【ファウスト】第60話
眼下に広がる紅蓮
黒煙が白波を飲み込む。
左舷
鋼鉄の大砲が熔解している。
業火に巻かれる。
海上の要塞が火柱を噴いた。轟音が鉄を焼く。
突き立てる波が熱で蒸発して、奇怪な異音を吹き上げている。
「どうなっているッ」
マルクは……
「どこから砲撃されているんだッ」
左舷 が被弾した。
砲撃は西からだ。
駿河湾の西に、なにがある?
ハッとした頬が凍る。冷たい汗が背中を伝った。
「焼津港が落ちたのかッ!」
駿河湾西岸にある静岡県α軍事港 焼津港が陥落している。
奴らはマルクの動きを読んでいた。
先手を打たれた。
焼津港は、既に奴らの手に落ちている。
《トリスタン》を奪うために。
奪えなければ《トリスタン》ごとマルクを沈める気だ。
鋼鉄の雨が止まない。
噴き上がる炎を消火できない。緋の残影が網膜を焼いた。艦艇が炎上する。
海の上で後退はできない。
戦局を変えるには反撃するしかない。
「なにをしているッ!」
ハルオミさんッ
「迷っている暇はないぞ!」
敵ジェネラルに取りつかれたら終わりだ。
砲撃の間に反旗を翻 せ。
取られたら取り返せ。
焼津港を奪取する。
マルクが生き残る策は、それしかない。
「ハルオミさんッ、なにをしている!」
蒼穹に暗雲が垂れ込める。
雲じゃない。
蟻の群れが空を食い尽くす。
(来た!)
敵ジェネラル《タンホイザー》だ。
大群を為すあの一団に取りつかれれば、戦局を覆すのは不可能に等しい。
砲撃だけでは無理だ。
「《タンホイザー》を出せ!」
敵味方の同士討ちを恐れている場合ではないだろう。
艦が沈んだら終わりだ。
「あなたは死ぬんだぞォォー!」
マルクはなぜ、沈黙するんだッ!
『……ナツキ』
通信を報せるランプが光った。
「ユキトかっ。どうした、なぜ出撃しない?」
『電気系統をやられた。被弾したせいでジェネラル格納庫のハッチが開かない』
そんなっ!
『今、整備班が復旧と手動での解除を行っている』
「そんな暇はないぞ!」
『戦況はどうなっているんだ?』
「焼津港が陥落した。砲撃はテロリストの手に落ちた焼津港からだ。
マルク左舷 より《タンホイザー》の大群が押し寄せている。取りつかれたら、ひとたまりもない」
『なんだって』
「どうにかしてくれ。頼む、ユキト。このままではマルクが沈む」
『分かった。こっちは何とかする。ナツキは逃げるんだ』
「なに言って!」
『政府専用機は戦闘機じゃないんだよ!
搭載のミサイルは最低限の迎撃しかできない。《タンホイザー》の格好の餌食だ』
「そんな事は分かっている!」
『だったら逃げろ!』
「ユキトっ!」
『これは夫としてのお願いであり、α-大日本防衛軍 一尉 シキ ユキトとしての命令だ』
通信モニターをパネルの光が淡く照らす。
『シキ ナツキ……逃げてくれッ』
拳が震えている。
ユキトの手……俺の手も震えている。
……首は振れない。
願いを叶える事はできない。
命令も聞けない。
『ナツキ!迂回して琵琶湖まで飛べ。
お前はΩ解放軍統帥 シルバーリベリオンだろ。
Ω解放軍が、お前の帰る場所だろうッ!』
「俺はッ」
………………俺はいつか
「………Ω解放軍に戻る」
『だったら』
「でも、それは今じゃない!」
モニターに手を伸ばす。
届かないけれど。
それでも。
この手をどうか、掴んでくれ。
「お前のいる場所が、俺の居場所なんだ!」
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