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第2話
「悠弥、おつかれ。この後は仕事入ってないけど、どう?ご飯でも」
夜11時。
本日最後の現場であるラジオ収録を終え、ブースを出たところでマネージャーの河西康太(かわにしこうた)さんがそう声をかけてきた。
「あ、はい。おつかれさまです。いいんですか?」
笑いながらそう問えば、「うち来る?ご馳走するよ」と優しい笑みが返ってきたので甘えることにした。
河西さんは、俺が14歳の頃から所属しているGimmick Starの敏腕マネージャーである。
俺の担当は5年目で、仕事に於いては良きパートナーだ。
河西さんの自宅へ向かう車の中で、圭斗の言葉を思い返す。
『いい返事しか聞く気はありません』
……いったいどうしろって言うんだ。
俺は男を恋愛対象にしたことは一度だってないし、もちろんこれからだってないはずだ。
そこをあいつは無遠慮に踏み込んできた。
つい先日のことだ。
あれから俺は、圭斗と会っていない。
元より俺ばかりが連絡を入れていたのだから、こちらが避けていれば当然のことだ。
「悠弥?大丈夫?うち着いたよ」
マンションの駐車場に車を停め、柔らかく微笑みながら声をかけてきた河西さんの存在を認めて我に返る。
「あ、大丈夫です。すみません」
慌てながらそう告げて、急いで車から降りる。
河西さんのマンションにはよくお邪魔しており、勝手知ったる、といった具合いに、河西さんよりも少し早くエントランスを抜けてエレベーターに乗り込んだ。
このマンションの3階に河西さんの自宅がある。
今日はご飯をご馳走してくださるということだが、河西さんの手料理は数える程しか口にしたことはない。
少し緊張するため、てのひらを擦りあわせてみる。
俺の話を聞いてくれるつもりなのだろうと察しがついたからだ。
河西さんはゲイだ。
恋人こそいないものの、もうずっと前から知っている事実。
あの日。
俺が圭斗に告白された日に、俺は河西さんに連絡を入れた。
「今度、相談に乗ってもらえませんか」と。
仕事のことではないと察してもらえたのだろう。
「余裕ができたらゆっくり聞くよ」という返事をいただいていたのだ。
河西さんの自宅に入り、「座ってて」と言われたためにソファーを借りる。
静かにスマホで時間を確認すれば、もうすぐ日付けが変わろうという頃だった。
明日の仕事の準備があるため、キッチンに立つ河西さんをちらりと見てから、まだかかりそうな雰囲気を感じ取り、バッグにしまってある台本と筆箱を取り出す。
家に置いてある台本にはさすがに手をつけられないので、明日使うゲームの台本をチェックする。
今日も収録した作品の台本のためたまたま持ち歩いていただけなのだが、なにかしていないと落ち着かないことを不思議に思った。
しばらくして、「ごめんね、待たせちゃったね」と、河西さんがチャーハンをテーブルまで持ってきてくれた。
いい香りを嗅ぎ、お腹が鳴ったことで自分が空腹だということを知る。
チャーハンは、料理をしない俺からすれば、家庭の味がした。
「おいしい?」
優しい声でそう問われ、「はい」と伝えてまた食す。
お皿が空になってから「ごちそうさまでした」と告げると、「お粗末様でした」と返ってくる。
麦茶を一口飲んで、深呼吸をひとつしてみたけれど、緊張感は拭えなかった。
どうして相談を持ちかけるだけの河西さんに対して緊張しているのか。
そこは全くわからないのだが。
「腹ごしらえも済んだことだし、本題に移りたいんだけど…。相談したいこと、って何かな?」
落ち着いた雰囲気で投げかけられ、少し口ごもってしまう。
ここまできて迷いが生じ始める。
いくらゲイだからと言って、ノンケの俺が関連の悩みを持っていることに対して不快にならないともわからない。
そんなことよりなにより、どこから説明すればいいのかがわからない。
「ゆっくりでいいよ。俺なら大丈夫だから」
緊張から固まる俺を見かねてか、時間をかけても大丈夫だと河西さんは言ってくれた。
少しずつ、少しずつ。
順序なんてめちゃくちゃだが、自分が圭斗を構いたい理由、圭斗からもらった言葉、現在の心境などを、なんとか伝えきる。
その間、河西さんの目を見ることはできなかった。
「そっか。夏川圭斗って…レッスン生で預かり所属の大学生だよね?まだ共演はしていなかったと記憶してるけど…」
「はい、その夏川です。確かに共演はまだなんですけど、事務所で会ってからけっこうプライベートで飯行ったりしてて…」
そこまで言って押し黙る。
あまり自分の感情を掘り起こしたくない、といった気持ちが大きく膨らみ、目を背けていたいと感じたからだ。
そこまではっきりとわかっているのに、それがなぜなのかはわからないのだが。
「悠弥はさ、何を悩んでるの?」
「え…?」
聞かれたことの意味がわからず、思わず弱弱しい声が抜けて出た。
少し微笑んだ河西さんは、しっかりと俺の目を見て言う。
「本当に男を恋愛対象として見られないなら、悩むことなく断りを入れればいいんじゃないのかな」
「それは…」
「いい返事しか聞く気がないって言われたから、なんてのは言い訳にしかならないよ、悠弥」
河西さんは何が言いたいのだろう。
確かにそうだ。そうだけど。
でも断れない理由はそこにあって。
悩む理由もそこにあって。
「圭斗とは、いい先輩後輩でいたいんです。変わらず先輩として構いたいんです。断ったら、それができなくなるじゃないですか」
「本当に…先輩として?」
「…何が言いたいんですか?思うところがあるならはっきり言ってください」
なかなか核心に触れてこない河西さんに痺れをきらし、棘のある言葉を返してしまう。
「うん。簡単に言うとさ、悠弥も夏川が好きなんだと思うんだ」
その言葉は、酷く鈍い何かのようで、強い力で頭を殴りにきたようだった。
眩暈がする。
そんなはずはない。
だって俺は男で、圭斗だって男だ。
「悠弥が人付き合いがいいことも、後輩の面倒見がいいことも知ってるよ。だからこそ思う。夏川への執着は異常だなって」
「執着…」
「考えてみてよ。一緒にいて楽しいのかどうかもわからない反応の相手と出かけて、君は何が楽しいの?俺がそんな態度しか取らなくなったらどうする?何度もご飯に誘おうって思える?」
「……お…もえない、ですね…」
「どうしても親しくしたいって躍起になったりするかな?」
「…しません」
「じゃあどうして夏川は俺とは違うの?」
ここまで誘導されて、顔面が熱くなるのを感じた。
いや、これはきっと耳まで真っ赤だ。
理由なんてわからない。
いつから、なんて、それこそわからない。
でも、好き、なんだろう。
いくら、つまらないのかもしれない、と感じても、いつかは笑ってほしかったのは。
自分のことをあまり話さないから知ることのできない『夏川圭斗』を知りたくて仕方がなかったのは。
その声をもっと聞きたくてたくさんの話題を振っていたのは。
彼の告白を断ることができなかったのは。
好きだから、なのだろう。
自覚してしまうと、途端にどうしようもなく胸が騒ぎ始めた。
「気づいたみたいだね」
そう言って微笑む河西さんには何の言葉も返せず、少しだけ呻いてみる。
そして、圭斗とどんな風に接すればいいのかがわからなくなる。
返事は上手くできそうにない。
会っても素直に話せないかもしれない。
恥ずかしい。
そんな気持ちが先走り、久しぶりに触れる恋というものに戸惑う。
どこかで偶然会っても、今まで通りとはいかないな、と、ふわふわと笑う河西さんを見て脱力しながら、遠くに思った。
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