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第3話

小学6年生のとき。 自分は人間関係の輪に混ざることが苦手なのだと自覚した。 そんな頃に放送していたラジオに、仲野悠弥が出演していた。 中学3年生の仲野悠弥は、学校での勉強を嫌っており、それでも友人の話題が多くて憧れた。 明るく明朗快活。 こんな人に、周囲の人間は惹かれるのだろう。 調べ尽くした『仲野悠弥』という芸能人は、子役出身の声優だった。 特別、アニメやゲームが好きなわけではなかったが、仲野悠弥が出演している作品はチェックするようになり、中学を卒業する頃には、すっかりアニメに詳しくなっていた。 仲野悠弥なら、こんな俺とも話してくれるのではないだろうか。 そんな気持ちが芽生えるまで、そう時間はかからなかった。 新潟に住んでいた俺は、東京などの都会で行われるイベントには参加できず、憧れの仲野悠弥をちらりと拝むことすらできなかった。 会ってみたい。 話してみたい。 ファンとしてそれが叶わないなら、いっそのこと同じ世界を目指そう。 そのほうが難しいだろう。 そんなことはわかっている。 けれど、どうしても『夏川圭斗』を見てもらいたかった。 ファンのひとり、という扱いは望めず、近くに行きたかった。 それが、俺の声優を志した動機だ。 高校生の頃、両親と進路について相談したが、卒業後は仲野悠弥が所属するGimmick Starの養成所に行きたいという希望を認めてはもらえなかった。 代わりに大学受験を求められたため、とりあえず学力的に無理のない榎元大学法学部を選んだ。 榎元大学は東京にあるため、高校卒業と同時に上京。 両親からの反対意見を聞いても夢は諦めきれなかったために、昼間はカフェ、夜はバーになる『オアシス』という店でバイトを始め、貯まった金で養成所に通うことに決めた。 その夏、Gimmick Starが開催した新人発掘オーディションに参加し、何が良かったのか奇跡的に合格することができた。 合格者は学費免除のために金銭的な懸念はなくなったが、バイトは続けている。 翌年の大学2年目に養成所に入所し、さらに翌年、無事に事務所に所属する運びとなった。 正所属になるまでは、預かり所属、準所属と段階を踏まなければならず、大学3年になった今、契約したばかりの俺は当然ながら預かり所属だ。 あれほど「声優なんて不安定で足元の悪い職業を目指すために育てたわけじゃない」と反対しまくっていた父も、少しずつ増える仕事量に納得し、今では応援してくれている。 初めて事務所で仲野悠弥と会ったとき、全身に電流が走ったのがわかった。 気さくで明るく、誰かと仲良くなるのが苦手な俺にも、優しく声をかけてくれた。 思った通りの人だった。 憧れの悠弥さんと同じ時間を過ごせば過ごしただけ、ずきりと胸が痛んだ。 悠弥さんからの連絡を待ちわびるようになった。 自分からはあまり連絡を入れられなくて、それは昔からのことではあるがもどかしかった。 悠弥さんと親しいことで有名な先輩が羨ましく、また、妬ましかった。 これを恋と呼ぶということに気付いたのは、悠弥さんに触れたいと思うようになったからだ。 尊敬している先輩に、憧れているだけの人に触れたいだなんて思うはずがない。 手に入れたい。 俺だけの存在になってほしい。 誰にでも振りまく愛嬌が疎ましい。 この感情を恋と呼ばずして何と呼ぶのか。 はちきれんばかりのこの想いを、抱えきれなくなって伝えてしまったあの日。 断られるであろうことはわかっている。 でも、諦めるつもりなんてない。 だから、長期戦で待つことにした。 恋なんて初めてだけれど、だからこそ譲りたくない。 そう思っているのに。 悠弥さんからの連絡が、あの日を境に途切れた。 しばらく経つが、待っているだけではだめなのだろう。 なんと連絡を入れればいいのかもわからない。 だが、寂しくてつらい。 悠弥さんは、よく俺を飯に誘ってくれる。 なら、俺も同じように誘い出せばいい。 『お疲れ様です。お時間があれば、今度ご飯に行きませんか?』 勇気を振り絞って送ったLINEは丸1日既読がつかず、『忙しいからまた今度』と、いつもよりも冷めた文面で返信が来た。 心が寒い。 避けられていることは理解できたが、納得はいかない。 例え口実だろうと、先輩に「忙しい」と言われてしまえば二度と誘えない。 臆病な俺は、それを機に大好きな悠弥さんとすっかり疎遠になってしまった。 「いらっしゃいませ」 言って店先を見れば、右腕を軽く上げて「よぉ!しっかり働いてる~?」と言いながら入店してくる見知った顔。 バイト先によく顔を出すこいつの名は葉山慎吾(はやましんご)。 Gimmick Star新人発掘オーディションの合格者で、養成所と事務所の同期。更には通う大学も同じときたこいつは、人生に於いて初めてできた友人である。 慎吾は心理学部の2年生でひとつ年下だ。 「また来たのか。騒がしくしてくれるなよ」 「なぁんだよぁ、冷たいなぁ。ちょっとお茶しに来ただけだって」 明るい笑顔で凛とした声が店内に響く。 「すでにやかましい。オレンジジュースでいいな?」 「うん。オレンジジュースひとつお願い」 慎吾がこの店でいつも注文する飲み物をオーダーで取り、「あと30分で上がりだから少し待ってろ」と告げて仕事に戻る。 30分はあっという間で、勤務を終えた俺はそうそう急ぐでもなく着替えてフロアに客として戻る。 慎吾が座っているテーブルにつけば「お疲れ」と声をかけてメニューに手を伸ばす。 「お疲れ。あのさ、圭斗最近元気ないよな?なんで?」 『夜の予報雨だったよな。傘持ってる?』くらいの軽さの質問だが、今の俺にとっては最も重い話題だ。 「ん…まぁ、なんて言えばいいんだろうな。…失恋?」 そう告げてからバイト仲間を腕を上げて呼び、レモンティーを注文する。 「……失恋…?え、お前彼女いたの?」 いつも元気な慎吾が控えめに尋ねてくるところを見て、俺はけっこう落ち込んで見えているのかもな、と感じ取った。 「いや、一方的に好きなだけ。あと、女じゃない」 「え!?」 今までに見たことのないような驚いた表情を向けられ、「気持ち悪いよな」と付け足す。 「いやいや。ごめん。ちょっとびっくりしただけ。まぁ…お前だから言うけど、俺も今気になってる人男だし、気持ち悪いとかはないよ」 「そうか」 思い返せば、慎吾と恋愛の話をしたことはなかった。 気になっている人、というのは気になったが、いずれ聞けばいいだろうという結論に至る。 「告白してフラれたってことか?」 「はっきりとはフラれてないが…まぁ、察しただけだな」 「聞けばいいじゃん。俺のこと好きじゃないの?って」 「普通に女性が好きな人だと思う」 「あー…」 そこまで話して、深く思案するように頬杖をつく慎吾を眺めていれば、注文していたレモンティーがテーブルに運ばれてきた。 何かをぶつぶつと言いながら眉間に皺を寄せる慎吾を置いて、静かにレモンティーを口にする。 仕事関連以外では、妹たちと連絡を取る以外で使用することが一切ないスマホから通知音が聞こえ、開いてみれば、胸が熱くなるような感覚を覚える。 悠弥さんからだ。 疎遠になってからどれくらい経っただろう。 チャット覧には『おつかれ。話があるんだけど、時間あるとき連絡くれると嬉しい』と書かれていた。 正式に断られる。 そう確信したが、また悠弥さんと会えることが素直に嬉しかった。 すぐに今日でも会えることを伝えれば、今から会いたいと申し出られ、それを受けた。 そのため、慎吾とはそこで別れ、指定されたカフェへ向かう。 ふわふわと浮くような感覚を覚える。 これから言い渡されるであろう気持ちの拒絶も、久しぶりに会えることへの喜びに比べれば気にならないものだった。 何度か悠弥さんと来たことのあるオシャレなカフェ。 俺のバイト先も非常にオシャレだが、悠弥さんが好みそうな、少しざわつきの目立つカフェだ。 店に入ると、すぐに悠弥さんを視界に捕えることができた。 足早に席に近づき、「お疲れさまです。お久しぶり、も言ったほうがいいですか」と皮肉を言ってしまう。 「悪かったよ。座れって」 少し困ったような顔になった悠弥さんだったが、真剣な表情で俺に座るよう促してきた。 それに従って素直に席に座り、まっすぐ悠弥さんを見つめる。 視線が痛いのか、少し俯いてしまった悠弥さんだったが、俺が曲げずに見続けた結果、決意したように俺と視線を合わせてきた。 「圭斗、今まで避けてて悪かった」 「はい」 「その…とりあえず確認させてもらっていいか?あの…まだ俺のこと…好きか?」 わずかに紅潮している頬に、不安そうな表情が印象的だ。 「はい、好きです」 視線を外さずに言えば、悠弥さんが少しだけ息を詰めたのがわかった。 「あ、りがとうな…。それで…うん。…俺も…好きなんだけど…」 その言葉の意味が、正直わからなかった。 なんて言った? 俺も好き? なにを? 困惑してしまう。 悠弥さんは少し微笑んで、「だからさ、付き合わないか?俺たち」と言葉を吐いた。 回らない頭で考えても答えは出ない。 けれど、咄嗟に口から滑り出た言葉は「大事にします」で、自身の言葉すら理解できない。 それでも。 長年焦がれていた悠弥さんが手に入った喜びは感じることができ、きっと今が人生のピークで、この先は落ちていくだけなのだろうとぼんやり思いながらも、自然と頬が緩むのを止められなかった。

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