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第5話
幼稚園から中学校まで、華僑の子どもが多く通う中華同文学校で過ごした。日常会話は中国語、厳しい校則と土曜日も授業のある学習指導のおかげか第一希望の公立高校に合格した俺は、文武両道を推される学校で全国大会の常連というボート部に入部した。
そこで出会ったのが理数系の特進クラスに籍を置く瑞樹とミツル、北島ミツルだった。
マネージャーだったミツルと特別な関係になったのは秋の新人戦が終わってすぐの頃だった。中2の夏にはゲイの自覚があった俺はミツルが寄せてくる好意に気づかないわけがなく、身体も心も発展途上なティーンエイジャーにとっては毎日が幸福の連続で『好きあう』ことの楽しさを思う存分に味わっていた。
もちろん、セクシャルな意味でも。
ミツルは俺の欲望に対していつも応えてすべて受け入れてくれた。身体はもちろん、未熟な心までも。
担任に理不尽な課題を出され睡眠時間を削られたとき、瑞樹と殴り合い寸前の大喧嘩をしたとき、最後のインターハイで表彰台を逃したとき。
そして高2の夏、警察官だった父親が亡くなったときも、ずっと支えてくれていた。
ミツルは小学6年生で母を亡くし、忙しい父に代わり祖母と暮らしていた。やがて父は再婚し、ミツルは新しい家族と馴染めないまま疎遠になっていったという。そんななか俺たちはお互いに支え合って、もたれ合っていた。だからか、高校を卒業してからの進路については今まで話さなかった。話せなかった、という方が正しいかもしれない。ミツルは神戸を離れたがっていたから。
「ミツルは、やっぱり東京行くん?」
「うん」
「……俺は、神戸から出られへん」
「総悟は一人っ子やし、おかあさんのそばにおってあげる方がええ。ぼくは、弟もおるから」
あれは国体が終わって部活を引退した11月の中ごろだった。六甲山から吹き降りてくる風はもう冷たくて、街は冬の匂いがし始めていた。神戸市役所の南にある東遊園地には、展示前のルミナリエの電飾が無造作に置かれていた。
「……俺らのことは……もう終わりにする気ぃなんか?」
「そばにおらんと、無理やと思えへん?」
「そんなん、わからへんやろ。俺は別れたくない」
「ぼくもわからへん。でも、もう神戸には戻らへんつもりやし、総悟を縛りたくないねん」
ミツルは縛りたくない、と言ったけど、俺には縛らないでくれと聞こえた。いつも俺の望むとおりにしてくれたのに、今回だけはそうはいかないと感じた。だから、
「ミツル……」
「なに?」
「ほんまありがとう。俺、ミツルがおったからいろんなこと頑張れた。それだけは絶対に、忘れんといて欲しい」
「ぼくもや。総悟のおかげで毎日がずっと楽しかった。しんどいことも乗り切れた。青春できたーって思う」
カッコつけたくて物わかりのいいオトナのような振りをして、最後にトモダチのハグをした。馴染んだ背中の感触が消えないように、いや違う、ちゃんと消えるように、忘れることができるように、俺はミツルの背中をトントントンと3回たたいた。
俺に阪大の合格通知が届いた日、ミツルが東工大に合格したと聞いた。
瑞樹とふたりでインカレを目指していた俺は、すぐに大学の練習に参加するようになっていて、上京するミツルの見送りにも行かなかった。大学入学後ほどなくして、優秀だったミツルは奨学金を得てMITに留学し、近況報告のメールも徐々に届かなくなった。ボートに夢中だった俺も大学を卒業して5年が過ぎ、去年の夏には母親も見送ってひとりになっていた。今春からは生活安全課で刑事となり、ますます忙しく不規則な毎日で、最近はミツルのことを思い出すことさえも少なくなっていた。
「……あれから、高校を卒業してから、もう9年も経つんやな」
「おまえと北島は続くんやと思っとったよ」
「……無理や。ただでさえ将来のことなんか考えられへん恋愛やのに」
「なんていうか、」
「ええよ。今でさえこんな世の中や。未成年のゲイカップルなんてどこからも、誰からも信用されるわけないやん。そんなんで遠距離でまで関係を続けるとか、そんなん無理やで」
「友達として、とかも」
「アイツは、ミツルは父親のことがホンマに嫌いやったからな。たぶんこの街も嫌いやったと思うよ。俺とおったら、」
急にミツルの背中の感触が戻ったような気がして、手のひらをきつく握りしめた。
「どうしても、思い出してしまうやろうしな」
「まだ好きなん?」
瑞樹に、無遠慮にそう指摘されて再確認した。
「そうやな。まだ好きなんやろうな」
気持ちに時効なんて、あるわけなかった。
「そっか」
「そうやな」
「それで、今は決まった相手はおるん?」
「おらへんよ。適当に済ましとう」
「適当って……乱れてんなあ」
「失礼やな」
「せやけど、まあ、」
すると急に真顔になって、俺の全身をしげしげと見回した。
「実際、おまえにブチこまれてみたいって思うやつは、ナンボでもおると思うわ」
「そりゃどうも。なんなら瑞樹も試してみる?」
一瞬だけ間があって、それから目を合わせて同時に噴きだした。
「キモっ」
「いやキモいな、これは。言葉に出すとこんなにキモいとは!」
「総悟のチンコなんて何回も見とんのにな! そんな目で見たら、いやキモいわー」
お互いに肩をバシバシと叩きながら大笑いして、気づいた。
「友達、て言うんは、こういうことや、瑞樹」
「……そうやな」
「たぶんミツルのことは、死ぬまで好きやと思うわ。友達になんかなられへん。最初から、あいつは特別や」
「……わかった」
瑞樹は頷いて、辛そうに笑顔を作る。それはたぶん、俺がそういう顔をしているからだろう。
「今日は悪かったな。仕事中に付きあわせて」
「いや、俺らのことは、何の参考にもならへんかもしれへんけど」
「そんなことあらへん。聞けてよかったわ。俺も、ずっと気になっていたからな」
「なあ、今日の話やけど……」
「うん?」
「瑞樹やったら大丈夫やと思うけど、どうすることになっても、味方になってやって欲しいな。その人の」
「うん、わかっとうよ」
瑞樹が、握った拳を突きだした。
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