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第13話

―8月12日(土曜日)21時 生田警察署第4会議室 「安藤さん、いろいろと報告したいことがあります」 ミツルと南原ナオトの調査をしていた稲垣が戻ってきた。 「まず北島ミツルですが、小学6年生のときに母親の北島佐紀子がミツルを道連れに心中未遂事件を起こしています。その際に彼は助かったんですが、母親はそのまま亡くなっています」 「へ?」 「どうやら、中学受験に失敗したことが直接の原因のようで、」 「待て待て待て、なんて?」 「母親がミツルを道連れに心中未遂を、」 「心中未遂? そんなの、初耳だぞ。アイツ、オカンに殺されかけたってことか?」 「そういうことになりますね」 「いや、なんだそれ……なんていうか……ごめん。続けて、」 「それから1年も経たずに父親は再婚しています。それで父親とは疎遠になっていったようですね。もともと忙しい父親は、高学年になったミツルが塾通いを始めるようになって、さらに構うことがありませんでしたから。なのでミツルは御影にある母親の実家に身を寄せていて、祖母が面倒を見ていました」 「そういえば、ばあちゃんと住んでる、て言ってたな」 「それから、父親に対する激しい憎悪は祖母の影響もあるかもしれません」 「というと?」 「『娘は北島一誠に殺された』祖母は近所でもよくそんな話をしていたようです。ふたりは東京の大学生時代に佐紀子のアルバイト先の定食屋で知り合っています。同じ神戸出身ということで親しくなったんですが、佐紀子の実家はもともと、母一人子一人で裕福な暮らしではなかったので、生活レベルの違う北島家との結婚には反対していました。口を開けば父の悪口ばかり、そんな祖母を見てミツルはどう思っていたか……母親を亡くしたばかりの中学生には酷な環境だったんじゃないでしょうか」 「だろうな。とすると、父親というか家族への憎しみは洗脳されたようなものなのかもしれないな」 「高校入学後の3年間は安藤さんのほうがお詳しいでしょうから、」 稲垣はそう言うが教室で見る北島からも、部活で見る北島からも、そんな重い雰囲気は一度も感じたことがなかった。俺が知る北島は優秀で、真面目で、明るくて、よく気が利いて、クラス長も買って出るような人物だった。 「でもそういえば、アイツの保護者って見たことないかもしれない。試合も、卒業式も、来ていた記憶はないな」 「東工大に入学後、すぐにMITの奨学金付プログラムに合格しています。相当優秀なんですね。そして7月の渡米後すぐ、祖母が亡くなりました。その時に一時帰国して以来8年ほど日本には戻っていないんですが、」 「が?」 「今年の3月に帰国してから、まだ出国した記録がありません」 「……参った。ビンゴか……」 やっぱり、北島だったのか……。推理していたものがすべて確信に変わる。できれば間違いであって欲しかった。 「そら、まあそう思っとったけど。せやから、わざわざ神戸にも来たし、総悟にもあんなことしたけど。そっかー、やっぱ北島の仕業なんやなあ」 独り言にもならないぐらいに、ブツブツと呪文のように呟いた。ただ、ただ純粋に単純に『いやだ』という感覚が満ちていく。 「あー、もういややなあ。めっちゃめちゃ、いややわ。もう俺この仕事、イヤになってきたわ」 机に突っ伏したら駄々っ子のように、頭のなかに浮かんだ言葉が口からこぼれ出す。 「それだけじゃありません。その、例の南原ナオトですが」 「ちょっとそっちは待ってくれ。情報量が多すぎて、理解するのがきつい。もう脳みそがパンパン」 「いえ、そういうわけには、」 「?」 「南原という性は大阪で元路上生活者の男と養子縁組したことで得ています。書類を確認しましたが、親権者である父親のサインも偽造しているようですし、おそらく買ったものだと思われます。以前の名前は北島ナオト」 「は?」 「北島ミツルの弟です」 「おいおい、ちょっと待ってくれよ」 視界が暗くなる。 おい総悟、お前は知っていたのか。北島の過去を全部。お前は知っていて、それでも北島と離れることを選んだのか。今お前のそばにいる南原ナオトという男が、北島の弟だと知っているのか。 「いややなあ」 また口から零れた。さっきからいやだいやだと、いったい何回言っているんだろうか。 「安藤さん、大丈夫ですか?」 稲垣が心配そうに俺の顔を覗き込む。 「で、どうして養子縁組? ナオトも父親となにかあるって?」 「いや、それが、いまいち腑に落ちるような理由が見つからなくて」 「じゃあ、現在ミツルとナオトが繋がっている線は?」 「いまのところ、まだ」 「OK。じゃあ、そこを重点的に続けてもらう」 「承知しました」 頭のなかで置いた点を、フラットに眺めてみる。 心中未遂、親子関係、養子縁組、北島一誠、ミツル、北松組、シヴァ、ミツルの母、ミツルの祖母、ナオト、ナオトの母、それから総悟。拡がる線が多すぎてぐちゃぐちゃに絡まって、考えがちっとも纏まらない。 「アカンわ。もう全っ然わからへん。なんや、俺、今回ポンコツかもしれんなあ」 「……安藤さん」 「うそうそ。がんばります。つまらない愚痴ばっかり言って、申し訳ないな」 「いえ……それから、もうひとつだけ。南原ナオトが深夜に出歩く理由と、立ち寄り先がわかりました」 「……え?」 この、南原ナオトに関する稲垣の報告は、まったく想定外の内容だった。 「うーん、そっちはなんとも言えないなあ。だとしたら、北島の件とは関係ないような気もするけど……でも、まあまだナオトも監視対象にしとくべきかな」 「承知しました」 得体のしれない、ちゃんとした形のないものを掴む感覚。いつもならそろそろ見えてきてもいいはずなのに、まだなにも感じられなかった。何かを見落としている。でも今じゃない、きっと過去になにか。「……痛っ」 噛みしめた唇には、いつの間にか血が滲んでいた。

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