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第16話

―8月16日(水曜日)、13時 神戸市中央区磯上通り 「ナオトくんやんな」 「……そうやけど?」 さっきから全身を舐めまわすような視線を感じていた。気持ち悪い、とは思っていたけど、冷たいラテはまだたっぷり残っていたし、真昼の繁華街のスタバで面倒なことになるなんて思いもしなかったから。 「誰やねん、オッサン」 ぱっと見で堅気とは思えない風体。暗くなってからならともかく、明るい陽射しのオープンカフェには、ちっとも似合わない。 「ここは禁煙やで」 胸ポケットからアメスピを取り出そうとするから先に制止する。タバコの臭いは好きじゃない。 「そう警戒すんなや。おかあちゃんの友だちや。ちょっと話があるんやけどな」 「オカンなんておらんけどな」 「そういうわけにはイカンなあ」 たぶん、その年齢には合わない、若すぎるデザインのサングラスを外して正面に座る。腕を上げると、シャツの隙間から古臭い刺青が見えた。 「そやかて、俺はおまえのオトンやからな」 「は?」 僕がもしも猫だったら、全身の毛が逆立っていたに違いない。 「オトンて……」 父親は北島一誠だと思っていた。母親似の僕は、もちろんちっとも似ていないけど、誕生日のプレゼント、サンタの載ったクリスマスケーキ、真夏の甲山で虫捕りをして、夜明けの芦屋浜で太刀魚を釣った。全部「父親」との思い出だと思っていた。原付の免許を取ろうとした高校1年の夏休み、父親欄に見覚えのない名前が記載された、戸籍謄本を取り寄せるまでは。 「僕に何の用?」 「文香、おかあちゃんはどうしたんや?」 「……オカンは去年死んだよ」 「え?」 「乳がんやった。1年もたんかったわ」 「あいつ、死んでしもたんか」 「そうや、せっかく来たのに残念やったな」 「いやー、残念やわ。参ったな」 残念やって? そんな顔、全然してへんやん。ヘラヘラしやがって。 頭を掻きながらまたアメスピを出そうとする。関わりたくなくて、席を立とうとすると腕を掴まれた。 「金ないねん」 「はあ?」 「なあ、おまえ金持ってへんか?」 反吐が出そうだ。こんな男が僕の父親だなんて。 ポケットから一万円札を出して机に置いた。 「悪いな」 「もう二度と顔見せんといて」 「はいはい」 小さく折り畳んでアメスピの箱に挟む。僕はタンブラーを持って席を立った。 「ナオト」 「……」 「あいつゴロウ、やったっけ。名前、」 「……ゴロウになんかしたら、許さへんから」 「ほな、またな」 返事をする気もなくてその場を離れた。あんな奴が父親だなんて。ほんまにオカン、何してくれとんねん。受け入れる気になんてとてもじゃないけどなれない。関係ない。どうでもいい。別にショックなんて受けてない。 ただ、なぜだかとても、悔しかった。

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