18 / 29

第18話

―8月26日(土曜日)12時 生田警察署第4会議室 「瑞樹、どういうことや」 会議室の扉を乱暴に開け、モニターから引き離し胸倉をつかんだ。瑞樹はなにも抵抗せずに両手を上げる。 「説明せえ」 ポケットからアイフォンと部屋で見つけた小指ほどの大きさのパーツを出して、目の前の机に置いた。 「ははは、総悟にしては結構見つかるんが早かったな」 「安藤さん!」 「おまえらは黙っとけ」 部下を一喝すると全員が手を止める。気づいたら瑞樹の顔に向かって銃を構えていた。 「おいおい、みんな落ち着いてくれ。コイツにはきちんと説明するから」 「安藤さん……」 「とりあえず、藤田は外部回線全部切って、コイツが入ってきてからの記録媒体は破棄。俺がOK出すまでモニタリング機能も他に気づかれへんように止めといて。それから八重子、」 「はい」 草野が震える声で返事をする。 「冷たいコーヒーいれてくれへん? 砂糖とミルク多めがええな」 笑顔で、そう告げた。 ーーー   「さっきので、おまえが『ゴリ』とか呼ばれている理由が、ようわかったわ。あんなにすぐチャカ抜く刑事なんか、ドラマでしか見たことない。ほんま、ソタイの方が向いとうで」 イテテテ、と瑞樹が腕を上げる。 「謝る気はないからな」 「開き直るな。でも、ずぼらなおまえにしては早く気付いたもんやなあ。なんで盗聴器があるって、わかったのかな?」 「火災報知機の点検にきた業者が、見たことがない部品があると」 「うっわ、ついてないなあ。偶然か。…ほなしゃあない。アイフォンは?」 「……やっぱりこれにもなんか入れたんやな?」 「あー、もう、なんやねん。総悟のくせにカマかけるとか、やめて、もうマジで。で、そもそも、なんで俺だと思ったんかなあ?」 「全部、おまえが来てからや。おまえが神戸に来てから、今までとは比べもんにならへんくらいに、いろんなことが起きとう。それと、」 「うんうん、それと?」 「おまえ、俺の家のカギ置き場を知っとうやろ?」 「あー、そういえば、……ていうか、まだあのままなん? あのなあ、おまえんちのセキュリティってどうなっとんの」 草野がアイスコーヒーを置いた。 「じゃ最初から」 瑞樹は一気に飲み干すと、 「実は、ウチのメンバーの個人的な知り合いが北松組にいるんだけど」 「北松組?」 北松組は関西では5本の指に入るゼネコンで、経営は北島家、ミツルの実家だった。 「そう、藤田のゼミの同級生が北松組のセキュリティ部門におって、ランサムウエアに感染したから助けて欲しいって、連絡があったんや。そいつは藤田が今、警察でこういう仕事をしているのは知らなかったみたいで、エンジニアとしての腕を見込んで純粋に助けてほしい、ていう話やった。ところが、こっちが警察だっていう事情が分かって実際に動き出してみたら、どうにもこうにも。この件は忘れてくれ、だと」 内部告発者が途中で協力しなくなることはよくあることだ。保身の場合でもあるし、あるいは買収される場合もある。 「送金はメジャーとは言えない東欧系の仮想通貨を経由していて、額は600万ドル。プログラムの解析は50%程度。実をいうと、ここまでしか確実な情報はないんや。こういう犯罪の場合は被害者が協力しないとなると、はっきり言って追うのは難しい。それで、あるだけの情報から紐解いて、ウチとしてはシヴァが絡んでいるんやないかって判断した」 「シヴァって、ハッカー集団のシヴァ? だとしたら金融関係専門という話じゃなかったのか? なんで北松組に」 「そう、だから問題は、なんで北松組なのかってこと」 「……」 「だけど社長を問い詰めたところで、そんな事件なんて起きてない、の一点張りなんやな。せやから、大阪国税局にも探り入れてみたんや。そしたら案の定、奇妙なカネの動きは把握しとった」 草野が手渡した資料には北松組の決算報告書、登記簿謄本などが並ぶ。 「会長名義の六本木のタワーマンション、六甲の別荘とハワイのコンドミニアム、それと社長名義の芦屋の自宅が売りに出されとる。ついでに会長の趣味のポルシェにマセラティ、ランボルギーニが合わせて5台。全部で8億、つまり600万ドルくらい作れんねんなあ。つまり、北島家がスッカラカンになったら、今回の600万ドル送金した件は、帳簿上なかったことに出来るってわけ。これって、ちょっと出来過ぎた話だと思わへんか」 「……まさか、そんな」 「な、おまえかってそう思うやろ」 「嘘、や」 「俺もそう思いたいよ。せやけど、調べたら北松組のセキュリティシステムは、十分世界的にも通用するもんやったし、技術者もちゃんと対策しとった。いくらアイツが優秀でも、そう易々とハッキング出来るとは思えへん。ところが、調べていくと最初にハッキングされたのが、なんと社長の個人PCやった、てことがわかった。というか、PCごと盗まれていました、とさ。まあそこからならカンタンやんな。それで、その社長の個人PCのパスワードっていうんがな」 アイツ、が誰を指しているのかはもうわかっていた。 「社長の前妻、つまり北島のおかあさんの名前と、亡くなった日を組み合わせたアナグラムだったんや」 息が詰まる。 視界に靄がかかって、言葉が見つけられない。 そのパスワードに辿りついたとき、ミツルはどう思ったんだろう。一瞬でも躊躇はしなかったんだろうか。 「確証はないけど、俺は北島はシヴァのメンバーだと思う。経由しとうサーバの85%がシヴァの使うものと一致したからな」 「……」 「……北島は、今年の3月7日から日本に帰ってきとう」 「……それで俺を監視してたんか」 「会ったのは、本当にあの日だけなんやな」 「そうや。日本に帰っているのも、あの時にわかったんや。でも、」 「おまえを監視していた理由はそれだけじゃない。最近、おまえに懐いているガキのこともあったからや」 「……ナオトのことか?」 「総悟、おまえは何にもわかってない。北島の過去も、南原ナオトのことも、」 急に寒気がして、手の平が震えた。 「南原ナオトの『南原』っていうのは養子縁組して買うた名前や。本当の名前は……北島ナオト」 「北……島?」 「そう」 瑞樹が大きく息を吐いた。 「あいつは、北島の弟や」 キタジマノオトウト。瑞樹の発する言葉が、まるではじめて聞いた呪文のようでちっとも理解できない。 めまいがする。吐き気がする。全身が重くて、とてつもなく寒い。 誰かに、脳を直に掻き混ぜられたらこんな気分になるだろうか。「過去って、」 「総悟、おまえ、」 「ミツルの過去ってなんなんや?」 「……やっぱり、知らなかったんやな」 ミツルが両親とうまくいっていなかったのは理解していたが、瑞樹から聞くミツルの話は、とてもじゃないが自分に置き換えられるようなものではなかった。そんな辛い過去を抱えて過ごしていたなんて、想像できなかった。それほど、ミツルは俺の前では、普通だった。 「……北島、呼び出せるか」 「無理や」 「だろうな。南原ナオトに連絡は取れるんか?」 「知らんねん。ナオトのことは連絡先もなにも」 「おまえなあ、」 瑞樹が呆れかえったように頭を抱える。 「兄弟揃っておまえの前から姿を消したってことや。いなくなったんはいつ?」 「10日前や。俺が昼前に家を出るときはなにも変わった様子はなくて、でも帰ったらおらへんかって。…そうや、ミツルの泊まってるところやったら、」 「ターミナルホテルだったらおまえが帰ったあと、すぐにチェックアウトしとう。おまえ、なんか言うたんか?」 「おまえのことを、話した」 「はあ?」 「瑞樹も、神戸におるって。それだけやけど」 「それで? 北島はなんて?」 「安藤くんはすごいな、て」 「こっちのことはバッレバレやん。うわー」 カタカタとキーボードを弾く藤田のモニタを覗き込む。 「決済は現金。予約は公衆電話からで、宿泊者名簿ももちろん偽名です。こうなると探すのは厄介ですね」 「IPアドレスかなにか辿れない?」 「部屋からウエブサイトに接続した痕跡はまったくありません」 「携帯は?」 「『現在使われておりません』なので解約していますね。どうしようもないです」 「だめだ。消えたな」 最大級のため息をついて爪の先を噛む。 「やっぱり、北松組から辿るしかないな」 「ですが、北島社長が協力するとは思えません」 「だけど、もうそれしかないだろう」 「俺が会ってくる」 「はあ?」 「ミツルの親父さんに、俺が会ってくる」 「親父さん、て。社長か、って、おい! 総悟!」 アイフォンだけをポケットに突っこんで、総悟が部屋を走りでる。 「ったく、あの脳筋ゴリラ。あー、もう稲垣はフォローに回って。武内はゴリラが暴走せんように止めて」 「「承知」」 ノートPCを抱えて稲垣が走り出し、そのあとを武内が追いかける。 「ったく、困ったもんや。なあ藤田、これって」 瑞樹は総悟が机に置いた小さな盗聴器のパーツを手に取り、藤田に手渡した。 「ええ、うちで付けたものではないですね。国内ではまだ見たことありません」 「だよねえ。いつからあったんか、なーんて、ゴリラに聞いてもわかるわけないな。なーんかイヤーな予感がする。あちらさんたち、なんだろうなあ」 「…どうしますか?」 「これから辿るのは無理そうやし、周波数を調べてうちのもこれに合わせといて。気づかなかったことにしよう」 「南原ナオトの動向を把握していることは、如月刑事には伝えないんですか?」 「説明するのが面倒だった。どうして?」 「実は、ちょっと問題が発生したようで…ふたりほど向かわせたいんですが」 「わかった。松本と久村に行かせて。あいつらだったら、まだ総悟にも面割れしてないから」 「承知しました」 はー、肺のなかのもやっとした空気を全部吐き出したい気分だ。ついでにこの3か月間のドロドロやごちゃごちゃも、まとめて全部リセットしたい。 「草野、大丈夫か?」 「はい、動揺して申し訳ありません」 瑞樹はまだ表情のこわばった草野の頭を、ごめんな、怖かったよな、て、ぽんぽんと叩いた。ウホン、と藤田のわざとらしい咳ばらいが聞こえた。

ともだちにシェアしよう!