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第29話 雨音(2)

「助けて」  腕を伸ばして助けを求めるけれど、そこには誰もいない。空虚な世界には、自分を救う人間などいないのだ。  このままではおぼれて死んでしまう。  息ができずに死んでしまう。  まだ死にたくはないとあがく自分がいる。  がむしゃらに腕を伸ばした。  そうしたらその手になにかが触れる。すがりつくように両手で捕まえた、それは人の足だった。  宙に浮かぶ人の両足。  それに気がついた瞬間、息が止まりそうになった。  振りほどくように手を払うけれど、足は真上にぶら下がっている。 「……ろむ、ひろ、む、宏武!」  逃げ惑う身体が泥水に沈んでいく。しかしもう駄目だと思ったその時、両腕をしっかりとした大きな手が掴んでくれた。  その手は沈みかけた身体をすくい上げる。それと共に酸欠を起こしていた肺に、新たな空気が送り込まれたような気がした。 「大丈夫?」  目を開けたら、リュウの顔が目の前にあった。心配そうな顔でこちらをのぞき込んでいる。瞬きして呼吸を整えると、彼の優しい大きな手は髪を梳き頬を撫でていく。  ああ、この手だ――そう思った。自分をすくい上げたのは、彼の手だと気づく。 「嫌な夢を見ただけだ」  まだ雨音がうるさい。今夜は眠れないかもしれない、とため息をついた。しかし毎年この時期にはよくあることで、数日眠れない日もあるくらいだ。  ここ最近は安眠だったから、この夢も見ることがなかっただけ。 「起こして悪かったな。寝てていいよ」 「宏武、眠れない?」 「気にしなくていい、よくあることだから」  身体を起こすと、リュウまで起き上がる。そしてこちらの顔をのぞき込んで、心の内をのぞき込むような視線を向けてくる。それでも不思議と嫌な気分にはならなかった。  まっすぐに見つめてくる茶水晶が、綺麗だなと思わず見つめ返してしまう。  しばらく見つめ合ったままでいると、ふいにリュウの顔がこちらへ近づいてくる。小さく顔を傾けた、その先になにが起きるか、すぐに気づいたけれど、頭で理解するのに時間がかかった。

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