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第54話 記憶(4)

「愛してるよ、宏武」  意識が混濁する中で、彼は耳元で何度も繰り返し囁いた。愛おしげに髪を撫でる手の感触も感じた。しかしそれがとても虚しさを感じて、涙が止まらなくなる。  こんなはずではなかったと、涙をこぼす自分がいた。それでもこの人を愛したことに後悔はない。  ただ自分たちは、運命というものに翻弄されてしまっただけなのだ。だから彼の手が、自分のか細い首にかけられた時にはもう、あらがう感情は捨て去っていた。  このまま生きていくのが辛いのならば、一緒に死んでしまうのもいいかもしれないと、そう思うほどに疲れ果てていたのだ。  ゆっくりと呼吸が薄れていく中で、涙を流しながら自分を見つめるその人を見た。これですべてが終わるのだと、そう思えてなんだか幸せな気持ちにさえなる。  きっとその時の自分は、恍惚とした笑みを浮かべていたことだろう。  薄れ行く意識が闇を引き寄せても、幸せな眠りにつけるのだとそう思っていた。だが――現実はそう優しくはなかった。  自分だけが目を覚ましてしまったのだ。深い眠りから揺り起こされて、絶望した。  目を覚ました自分の目に映ったのは、二本の足だ。黒い革靴が目にとまり、それが誰のものであるのかすぐに理解した。  ゆるりと顔を持ち上げてみると、大きなシャンデリアに、長いロープがかけられていた。  だらりと力なく垂れた手や足、もうすでに息はないだろうことがわかる。  悲鳴を上げて泣き叫んだけれど、口は塞がれたままで嗚咽さえも響かない。そしてこの異質な空間に、自分は閉じ込められてしまったのだと気づく。  身動きはできない、声も出ない。誰かに気づいてもらえる確率はとても低かった。人間は目覚めてしまうと、生に執着してしまうものなのだろうか。  どうしたらこの場から逃げ出せるのかと、考えている自分がいた。しかしぼんやりとする意識は何度も途切れ、次第にまた闇に飲まれていくように意識を失っていく。

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