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第56話 再会(2)

 あの出来事を忘れ去りたくて、自分は心に鍵をかけて、記憶を封じ込めていたんだ。けれどあの時と同じ雨の季節が、それを揺り起こしていた。  それはまるであの日を忘れるなと、言われているかのようだ。あの人がいまもなおそこで、自分を呪っているかのように思える。 「あら、桂木さん目が覚めました? 気分大丈夫ですか?」  そろそろ点滴も終わりそうになった頃、間仕切りのカーテンの向こうから、白衣を着た看護師が顔を出した。自分が目覚めていることを知ると、彼女は少し表情を和らげて笑みを浮かべる。 「軽い栄養失調と暑気あたりだろうって、先生がおっしゃってました。ご飯はちゃんと食べないといけませんよ。点滴も終わりましたので、気分が悪くなければもう帰っても大丈夫です」 「ありがとうございます」  点滴を外し終わると、彼女はまたカーテンの向こうに姿を消した。それを見送ってから、横たえていた身体を持ち上げてみる。  少し重くてだるい感覚はあるが、それほどひどい倦怠感ではない。これならば帰れるだろうと、ベッドから下りることにした。  足元に揃えられていた靴を履いて、サイドボードの上に置かれた財布や、携帯電話などをズボンのポケットにしまう。  パンフレットは、忘れたふりでもしようかとも思ったが、あとで悔やみそうでやめた。  立ち上がってみると、少しめまいがした。しばらく目を閉じてやり過ごせば、それはすぐに治まる。  長く息を吐き出して、深呼吸すると間仕切りのカーテンを勢いよく開いた。  そこは四人部屋だったけれど、自分のほかに人はいなかったようで、ベッドが並ぶ以外は人の気配もなく、静まり返っている。  ゆっくりと病室を横切り、廊下に足を踏み出す。すると廊下の先には看護師の詰め所があり、人の気配がようやく感じられた。

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