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 台所からいい匂いがする。日向は畳に寝転んで出汁の香りがする方向をぼんやりと眺めていた。手元には宿題らしきノートと鉛筆。コンロでは鍋が湯気をたてていて、その向こうの磨りガラスがオレンジ色に染まっている。リズミカルに包丁を使う後ろ姿に声をかけた。 「おかあさん?」  声に出してみておかしいと気づいた。自分に母親の記憶なんてない。よく見てみれば、この台所だって見覚えがない。  夢か。たぶんドラマかなにかで見た光景を、脳が勝手に再生しているのだろう。    鉛筆が畳の上を転がって、追いかけようと手を伸ばしたところで目が覚めた。覚めたはずなのに夢の中と同じ格好をしている。畳の上でうつ伏せで。おかしいなぁと深呼吸してみたら、出汁のいい香りが鼻孔をくすぐった。夢の中と同じ、美味しそうなにおい。  肘をついて腹這いのまま視線を上げた先には、まあるいシルエット……ではなく、ほどよく発達した背筋とそれに続く締まった腰の美しい逆三角形が見えた。

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