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涼川 鼓 5

母さんは初めは何も言わず、しかしこのままではいられないと思ったのか口を開いた。 「あなたのお父さんは…お仕事が大好きな人なのよ」 「お仕事?」 首を傾げる。 「そう、すごく優しいけど、お仕事の方が大好きだからお母さん達別れちゃったの」 困ったように笑う母さん。俺はその時、仕事が大好き=忙しいだと勘違いしてしまった。だから、ただそうなんだーと言った。 しかし、母さんはそれを許さなかった。俺が間違って解釈していると分かったらしく、ゆっくりと首を振る。 「お仕事大好きって言うのは、お母さんや鼓よりお仕事の方を優先しちゃったってことなの」 「ゆうせん?」 「そう、お仕事の方が大事って思ったのよ」 それは悲しいことだと母さんの表情から読み取った。俺は生まれた時から父親がいなかったから、そこまで悲しいと思えなかった。 母さんは俯いて、それにね、と続ける。 「それにね…お父さんは、鼓の事、……好きじゃないって言うの」 どくり、と心臓が嫌な音を立てる。母さんは俯いてこっちを見ようとしない。怖くなった俺は母さんに手を伸ばそうとした。けれども、母さんは俺の肩を強く掴んでいて腕が動かせなかった。 「お、お母さん、いたい…」 「鼓を産もうとした私に、それは本当にワタシの子か?って。産まれても認めないって…嫡出を認めてくれなかったの。だからあなたの戸籍は父親の欄が空白のまま…こんなこと普通は有り得ないのだけれど、あの人はやったのよ…私あの人以外にしたことなかったわ。なのに、なのに…一晩で出来るはずないって言って…!!!!!!」 空いている手で母さんは机を叩いた。大きな音が出て俺は飛び上がる。ほとんど何を言ってるか分からなかった。でも、母さんが怒っているのは分かった。 「仕事ばかりでろくに私の相手もしなかったくせに!何をしても無視していたくせに私に子供がいるってわかった途端疑い始めて!!何度も愛を伝えたのに返してもくれなかったくせに!!」 「ひ、っ…」 ひどい剣幕で怒鳴り始めた母さん。ガン、ガンと手が何度もテーブルに叩きつけられていた。今までそんな姿一度も見たことなくて、俺は目に涙を浮かべて震えるしかなかった。 「だから私、鼓を育てることにしたの…あなたにいっぱい愛情を注ぐことにしたの…。あなたはいつだって私のそばに居てくれる、愛を返してくれるわ…」 俺の顔に母さんの手が滑らされる。血が着いた、手だった。 「お、お母さん…お手手、痛くない…?」 「ああほら、あなたはどんな時でも私を気遣ってくれるわ…」 顔に血が着く感触がする。俺は震えながらも引きつった笑みを浮かべた。 「ぼ、く…お母さん、だいすき…」 それは、俺なりの防衛本能。 「ええ私も大好きよ鼓。だから絶対に離れていかないでちょうだいね」 顔を上げた母さんはこれまでに無いとびっきりの笑顔を見せてくれた。

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