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第303話 邂逅 9-2

 その時は彼女の言っている意味が僕にはまったく理解できなかった。けれどいつも明るく笑みを絶やさない、朗らかな雰囲気を漂わせていた彼女も、頼りない僕を後ろから支えながら、大きな不安やストレスを抱えていたのだと思う。彼女はあまり不満を口にするようなタイプではなかったから、心の奥に色んなものをため込み過ぎたのかもしれない。そしてそのことに僕は気づいてあげられなかった。  あ然としたまま立ち尽くしていた僕が、我に返って彼女の背を追った時には、もう既に彼女を乗せたタクシーは走り出していた。そしてあの時の会話が、彼女の声を聞いた最後のものになる。僕は呼び出された病院で、その事実を茫然としながら聞いた。まるで悪い夢でも見ているのかと思った。 「残念ですが、奥様は先ほどお亡くなりになりました」  その言葉が頭で認識されるまでどれほどの時間を要したかわからない。立ち尽くす僕に、目の前の顔は哀れむように歪められる。震えた唇が言葉を発する頃には、なんだか喉がカラカラになって声が少し掠れてしまった。 「あの、子供は?」 「すみません」  僕の声にただひたすら頭を下げ、何度も謝り去っていった医師と看護師の後ろ姿を見つめ、やっとその意味を理解した。僕はいま、大切なものを二つ同時になくしてしまったのだということを――今頃になって理解した。

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