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第666話 夏日 23-4

 瀬名の言う手負いという言葉に少し引っかかった。なにかしらの傷を抱えているということだろうが、相手が月島ではその傷さえ相手に見せることはせずに、なにごともない素振りで平気な顔をして笑うのだろう。 「厄介なのに惚れましたね」 「……それでも欲しいんだ。仕方がないだろ」  余計な口は開かずに黙って見つめているようで、この瀬名という男は虎視眈々と相手の一瞬の隙も見逃さないつもりなのだ。そしていつか追い詰めて獲物を手に入れるのだろう。多分きっと月島もそれに気がついている。だからこそ一定の距離を保ってそれ以上近づかないのだ。お互いの気持ちは恐らくもっとずっと近くにあるはずなのに、背中合わせ――向き合うことがない。  そう思うと、俺は幸せなのかもしれない。好きだと思った相手が自分だけを見つめ追いかけてくれる。精一杯の想いを伝えようとしてくれる。好きでいて愛していてくれる。当たり前に思ってしまいそうなほど、あの人は俺をまっすぐに好きでいてくれるのだ。 「人を好きになるのは簡単でも、愛されることは難しいですね」 「よく言うだろ。恋はするもんじゃない、落ちるもんだってな。落ちたあとが厄介なんだよ。理性ってもんがおかしくなる」 「ああ、確かに……人間、恋をすると馬鹿になるもんですね。でも景色は変わりますよ」  誰かを愛するといままでの自分ではなくなる。その人のことが頭から離れなくなって、心が弱くなったりかき乱されたり、その心が自分のものではないような錯覚にさえ陥る。けれどその人のいる世界は色鮮やかで、どんなものにも代え難くなるのだ。  それはたまらなく心地よくて、愛を貧欲に求めていた俺には盲目になるほど溺れている自覚がある。求めても求めても足りないくらいに貪り尽くしたい、そんな感情にさえ囚われることもあるほどだ。  けれどそれができないのはあの人の純白さだろう。俺自身の黒く歪んだ色に染まらないでいて欲しい。無垢なままの彼でいて欲しい。そんな想いが俺の心の内に根付いている感情さえも押し殺す。そしてそうするほどにあの人がいる場所は俺の聖域になる。

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