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第688話 夏日 28-5
「君、泣けない子なんだね。いますごくほんとは泣きたい気分じゃない?」
「わからない」
自分が最後に泣いたのがいつだったかさえも思い出せない。けれどいまはひどく胸が苦しくてたまらない。溜め込んでいたものを吐き出したはずなのに、胸が痛くてたまらない。昔の感情に引きずられているのだろうか。
「佐樹ちゃんはこのこと知ってるの?」
「俺がこっそり彼に会いに行っていたのは知らない。けど五年前にあったことは知ってる。実際に思い出したのは付き合ってしばらくしてからだけど」
「そっかぁ、じゃあ俺なんかが敵うわけないよね。佐樹ちゃんは直感と心で君を選んだんだ。覚えていなくても、それでも一緒にいたいって思ったんだろうね。それにしてもそういう繋がりかぁ。で、なんで俺のことは過去形になったの?」
「今日一日だけど見ていてあなたのまっすぐさを感じた。いまだに佐樹さんと近い距離には苛ついたりするけど、それでも思っているほど嫌な奴じゃないと思えた」
部員たちやほかの参加者たちに向ける月島の視線は、ひどく優しいものだった。それは作られた笑みや態度ではない、まっすぐとしたこの男の性根が見えた気がするほど煌めいていた。普段は口も悪いし態度も尊大だが、子供たちへ向ける優しげな眼差しは本物だと思った。
「そう、少しは君の中で格上げされたんだ俺。佐樹ちゃんとの距離は心と身体の距離が近くなったからかな?」
「それも、否定はしない。それにハッキリとあなたとはなにもないと答えてくれたから」
気持ちを入れ替えるためかシートにもたれ背伸びをすると、月島はそれと共に大きく息を吐き出した。そして「完敗だな」と俯き気味に小さな声で呟き、小さく笑った。そうしてまたしばらく俺たちのあいだで沈黙が続いたが、静寂の中で二人ぼんやりとしているうちに佐樹さんと瀬名が戻ってきた。
佐樹さんの「ただいま」の声に、俺たち二人は笑みを浮かべて「おかえり」と返した。
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