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第690話 夏日 29-2
「トイレの中まで追いかけてくるわけないだろ。ましてやあずみは女だぞ。それになんで俺じゃなくて二人へ先に電話するんだよ。わけわからない真似するのはやめてくれ」
緊張で声が裏返ったり上擦ったりしないようになるべく平坦な声で返事をする。相手に伝わるほど大きくため息を吐いて、この電話を早く終わらせたい意思を伝えるが、電話の向こうではぶつぶつと呟く声が続いていた。
「とにかく今日は帰るのは遅いって事前に言っただろ。終電で帰る」
耳元から聞こえてくる、ぼそぼそとした声はまるで呪いをかける言葉のようで背筋が寒くなる。平常心を装い小さく息を吐くと、ぴたりと電話の向こうの独り言が止んだ。
「ねぇっ、なんでそんなに遅いの。もっと早く帰ってきなさいっ。私は話があるって」
そして突然またヒステリックな声が響く。
「俺にはないっ、いい加減諦めろよ。なに焦ってんだよ。俺を巻き込むなっ」
最後まで平静を装うつもりでいたが、気がつけば声を荒らげ言葉をまくし立てると、一方的に通話を切断して俺は電源すらも切っていた。携帯電話を握り締める手が震える。肩で息をする自分に気がつき深呼吸を繰り返してなんとか落ち着こうと目を閉じた。けれど耳に障る声が頭の奥で響き、次第に気分が悪くなってくる。
「藤堂?」
けれどふいに聞こえてきた声に、頭の中で鳴り響いていた不快な声がかき消される。携帯電話を見つめていた顔を弾かれるように上げた俺は、その声を振り返った。そこにはどこか心配げな表情を浮かべた佐樹さんがいた。振り返った俺に小さく首を傾げ、じっとこちらを見つめている。
「あの二人は?」
「渉さんと瀬名くんならもう帰った」
片手にビニール袋を下げた佐樹さんの姿に、ふと思い出した二人のことを問えば、ほんの少し後ろを振り返ってからこちらを見て肩をすくめる。
「それより、大丈夫か?」
「え?」
「顔色悪い」
ゆっくりと近づいてきた佐樹さんは目の前で立ち止まると、眉をひそめ俺の頬に手を伸ばす。
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