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第727話 夏日 38-3
ただ手を握ってもらっただけなのに、こうしてこの場所に藤堂といられることが嬉しかった。
「佐樹さん」
「ん?」
「気にしてますよね、電話」
空を見上げたままの藤堂に名前を呼ばれて、思わず首を傾げて返事をしてしまう。けれどそんな僕を振り返らずに、握る手に力を込めた藤堂がぽつりぽつりと言葉を紡ぎ出す。
「なるべく佐樹さんには心配かけたくなかったんですけど。さすがに気になりますよね」
「ああ、うん。まあ、でも話して楽になるならいいけど、そうじゃなかったら無理には話さなくてもいいぞ」
気にならないと言ったら嘘になるけど、言葉にするのが躊躇われるならばそれを問いただそうとは思わない。けれど少し俯いた藤堂は考えるように目を伏せてから、ゆっくりと話し始めた。
「夏は嫌いって俺、前に言いましたよね」
「うん」
いまでも覚えている。夕陽が沈んでいく中で小さく呟いた藤堂のその言葉。まるで独り言のようにさりげなく呟かれた言葉だったけれど、なぜだかそれを簡単には受け止められなくて、僕は気の利いた言葉を紡ぐことができなかった。
「蝉がうるさくて、本当にうだるような暑い夏の日でした。突然父が家を出て行ったんです」
「え?」
突然の告白に思わず息を飲んでしまった。家族仲がよくないとは聞いていたけれど、まさかそんなことにまでなっていたとは思わなかった。でも思えば母親のことは話に上がるけど、父親に関しては触れることがなかった。
「あれからもう五年、くらいになるのかな。それから毎年、夏になると母の様子がおかしくなるんですよ。いつだって暴君のような有様で、父に対して愛情なんてないと思ってたんですけど、思ってた以上にそれが母には衝撃だったのか。出て行った当初は暴れて手に負えないくらいだった」
五年前の夏ということは僕たちが出会ったすぐあとだ。きっかけはやはり藤堂の出自だろうか。そう思うと胸が苦しくなる。
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