777 / 1096

第777話 疑惑 3-4

 手をぶらぶらさせて子供みたいに口を尖らせる姿は実に可愛い。可愛いけれど、そんな表情に負けて言うことを聞いてしまうと後悔することになる。ここは仕事場なのだから、ただの見学者がうろうろしていいものではない。 「いますぐに始まるわけじゃないし」 「けど今日はスケジュールが大変だって聞いた。それにみんな渉さんのこと必要としてるよ」 「んー、そうだけど。じゃあ、あとでまたゆっくり話ししよう? もっと色々見学させてあげるから」  まだ少し不服そうな表情は浮かべているけれど、僕の気持ちを尊重してくれたのか、渉さんは渋々だが一歩だけ引いてくれた。けれどそれに僕がほっと息をつくと、渉さんは繋いだ手を引いてぎゅっとまた僕を抱きしめる。 「佐樹ちゃん好き」 「うん、僕も渉さんが好きだよ」 「よかった」  小さな独り言みたいな言葉に優しく応え、背中をあやすみたいに何度か叩いてあげた。すると甘えるように頬に顔をすり寄せながら渉さんは僕を強く抱きしめる。少しきついくらいの抱擁だけれど、なにかが渉さんの胸につっかえているのを感じて、抱きしめる腕に身を任せた。どんなに渉さんが強く見えても、どんな仕事でも、プレッシャーを感じるだろう。それでなくともこんなにたくさんの人が動いている。素人の僕が見てもすごい現場だ。  時折こうして渉さんの心の内側が垣間見えることはいままでもあった。それはいつも笑みを絶やすことのない渉さんを見ている僕にとってはすごく珍しいことだから、その時は思う存分甘やかしてあげることにしている。これは普段僕を大事に思ってくれている渉さんへの小さなお礼のようなものだ。 「頑張ってくる」 「うん、頑張って」  微かな頬への口づけと共に身体を離した渉さんは、いつものような満面の笑みを浮かべて僕の目を見つめる。その視線に応え笑みを返すと、渉さんは彼を待つみんなの場所へ戻っていった。

ともだちにシェアしよう!