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第794話 疑惑 8-1
言葉では推し量ることのできない感情。渉さんの中にある瀬名くんへの感情は、まだ名前がない。好き、でも嫌いでも、愛してるでもないのだろう。そしてそれは色んな可能性を秘めている。好転するか暗転するか、いまはまだそれさえも見えない。それでも戸塚さんはいつかその日は来るだろうと言った。間近で見ている人が言うのだから、きっとそれに間違いはないはずだ。
僕への想いなど早く忘れて欲しいと思ったけれど、いまはまだ必要なのだというならば、その気持ちはそのままにしておこう。可能性があるのなら、いつか渉さんが瀬名くんにありのままでいられるようになればいい。僕の独りよがりな望みだけれど、それが叶ったらいいなと思う。
「佐樹ちゃん、今日は遅くまでありがとう」
「こちらこそ現場を見せてくれてありがとう」
「またいつでも」
食事を終えて昼前に戸塚さんが迎えに来てくれた駅前に着くと、辺りはもうすっかり暗くなり街灯に照らされていた。時間もだいぶ遅いためか人も少なく、昼と夜の違いを感じる。なんだか一日がすごく充実していたのに、あっという間な気もして不思議な感覚だ。けれど目の前で笑みを浮かべている渉さんから、最後に藤堂や峰岸と三人で撮った写真を手渡されると、今日が夢や幻ではないのを実感する。
「気をつけて帰ってね」
「ありがとう」
ふわりといつものように僕の頬に口づけた渉さんを見送れば、彼を乗せた車は再び撮影スタジオへと向かっていった。戸塚さんの話ではまだひと仕事残っているらしい。瀬名くんも自分の仕事ではないのに手伝って帰るそうだ。なんだか甲斐甲斐しくて、ますます応援したくなる。
「佐樹さん」
「ん?」
走り去った車が見えなくなると、ふいに名前を呼ばれる。けれどその声に振り向こうとしたら、後ろから伸びてきた腕に強く抱き寄せられ振り向くことができなかった。突然のことに驚いている僕の身体を、藤堂の腕が強く抱きしめる。
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