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第889話 疑惑 31-4
そして二人の手には開かれた黒い手帳があり、顔写真と名前が見て取れた。
「あの人になにかありましたか」
「なにか、知っているのか?」
相手の言葉より先に問いかけた俺に、目の前に立つ年配の男は訝しげな表情を浮かべる。そしてこちらの目を覗き込むような視線を向けられ、俺は少し目を伏せてそらした。
「いえ、なんとなくそんな気がしただけです」
「そうか、それならもしかしたら話は早いかもしれないな。いま君のお母さん、藤堂彩香さん。署の方で身柄を預かっている。住居不法侵入と器物損壊、それと傷害の現行犯だ」
「そう、ですか」
ふらりと出て行ってこれか。もっと早く家に帰っていればよかった。そうすれば出て行くのを止められたかもしれない。しかしあれほど虚ろになるくらい病んでいたのに、どうやって相手の家まで行ったんだろう。一人で電車を乗り継いで行けたのか?
もしかして行動を助長するような人間が傍にいたのだろうか。誰だ、いまあいつの周りにいるのは――雇いの弁護士、それと父方の川端くらいだ。そこまで考えてなにかが引っかかった。
「ちょっと、君?」
慌てたような声が耳に届いたが、俺は踵を返しリビングに駆け戻った。そしてソファの傍に散乱する写真を注意深く広げて確認していく。
あいつ一人の行動ならば、あの状態でほかのことを考えられるはずがないと思っていた。けれどあいつの行動を手助けするような人間が近くにいるとしたら、すべての行動が他人の手によるものなのだとしたら、その答えは大きく違ってくる。ずっと繋がることのなかった疑問が急に結びついた。
不安と焦りで胃が引き絞られるような痛みを感じる。頭の中で形が見えてきたものを否定したい気持ちが膨らんで、写真をめくる手が震えた。けれど考えれば考えるほどに、それは現実的なものになっていく。
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