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第952話 別離 14-3

「ちょっとお兄さん、人を殴っておいて無視?」  しかし険のある声が聞こえてきて我に返った。すぐ目の前に買い物袋を片手に額を抑えながらこちらを見ている青年がいた。辺りを見回していた視線を目の前の人へ向け、僕は大きく頭を下げる。 「すみません。大丈夫でしたか。よそ見していて」 「まあ、ちょっと、おでこにぶつかったくらいだけど」  大げさなほどに頭を下げた僕に驚いたのか、目の前にいる彼は雰囲気を和らげると、少し気恥ずかしそうに視線を泳がせる。しかしちょっとぶつかったと彼は言っているが、あれはかなり勢いよくぶつかった感触だった。 「ながら歩きは気をつけなよ」 「本当にすみません」  気の優しい青年に小さなため息交じりで諭されてしまった。言い訳は見当たらない。携帯電話をいじって考えごとをしていたから、まったく周りが見えていなかった。普段は人に注意する立場にいると言うのに、なんだかもう恥ずかしさと申し訳なさしかない。しかも気のせいでなければ、僕はいま迷子だ。 「申し訳ないんですが、駅どっちですか」 「え? 迷子なの?」  心底驚いたような表情を浮かべる彼にじわりじわりと頬が熱くなる。小さく頷くとさらに吹き出すように笑われた。しかし彼は片手を上着のポケットに突っ込むと、携帯電話を取り出し地図を開いてくれる。 「いまここ、向かって歩いてたのとは逆方向にこう行って、ここを曲がれば大通りに出るから」 「なるほどここを通り過ぎて歩いてたのか」  僕は考えごとをしながら歩き、曲がるはずの角を曲がらずひたすらまっすぐに進んできてしまったようだ。しかも数分くらいの距離しか感じていなかったけれど、結構な距離を行き過ぎている。青年の指さす道を頭に収めようと僕はまじまじと携帯電話の画面を見つめた。

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