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第1056話 始まり 5-4
「びっくりした。俺、ちゃんと佐樹さんに連絡してなかったのに」
驚きをあらわにする優哉は僕の両頬に手を添えて、まっすぐにこちらを見つめてくる。いままでと違う、遮るものがないその視線に思わず頬が熱くなった。そしてこんなに彼を間近に感じて、胸の音が伝わってしまいそうなくらい鼓動が早くなる。
「うん、僕もついさっきお前が帰ってくるって聞いて、びっくりした」
「あ、ちゃんと伝えていなかったこと、怒ってますか?」
「全然、帰って来てくれて嬉しかった」
少し焦ったように優哉は僕を抱き寄せる。けれど言い忘れていたことより、帰ってくる驚きや嬉しさのほうが勝って、怒るだなんて感情は忘れていた。自分の単純さがおかしくて小さく笑ったら、つられたのか優哉も笑って僕の髪に頬を寄せてきた。
「佐樹さん」
「ん?」
「もう一回、名前呼んで」
「……あ、えっと、優哉」
耳元に囁きかけられる甘い言葉に誘われて、おずおずと名前を紡ぐ。呼びなれない名前はなんだかむず痒く、照れくささが胸に広がる。けれどそんな僕に満足したのか、こめかみに口づけてきた彼は何度も僕の髪に頬ずりをした。
「嬉しい。呼ばれるの楽しみにしてた」
「大げさだなぁ」
「なんだか前より近くなった気がするでしょう?」
「うん、まあ、確かに」
ずっと優哉のことは苗字で藤堂と呼んできた。けれど時雨さんの籍に入ることで、藤堂ではなく橘に変わった。
そのまま橘と呼ぶのもありではあったのだが、親しい相手でしかも恋人を、いつまでも苗字で呼ぶなんておかしいかと思い至ったのだ。そして優哉にも相談して、いい機会だから呼び名を改めようということなった。しかし電話もしないので直接呼ぶことが今日までなかった。手紙ではすでに名前を綴っていたが、文字と声にして呼ぶのとでは大いに違う。
初めて言葉にした名前はひどく胸を甘くさせた。
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