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第95話
「ん゛ん゛っ」
残り数センチのところで、すぐそこの玄関から聞こえた咳払い。
その音にハッとした俺は、慌てて戸塚君から距離を取った。
そういえば、前にもこんなことがあった。その時と同じで、今回も冗談とは分かっているけど、まだ胸がドキドキしてる。いつもの毒舌でついつい怖い方が優ってしまうけど、戸塚君はカッコいいのだ。
(びっくりした……)
「心、おいで」
「あっ、はいっ」
落ちた荷物を拾ってトタトタと先生の横に行くと、先生はごく自然にその荷物を持ってくれた。それだけで胸をキュンとときめかせてしまうも、慌てて首を振る。けれど、先生は微笑むだけで、返してはくれなかった。
(荷物持ちで来てもらったわけじゃないのに……)
戸塚君にお礼が言いたいからって一緒に来てくれた先生は、その目的通り、戸塚君に向かって笑いかけた。見間違いかもしれないけど、その顔は少し引きつって見えた。
「あー……戸塚君。心を泊まらせてくれて、ありがとう。でも、もうこんなことにはならないから、大丈夫だよ」
「はぁ?淫行教師が何言ってんだ」
(いっ、いんこうっ……!?先生がっ!?)
「と、戸塚君っ……先生はそんなんじゃ……」
慌てて訂正しようとすれば、戸塚君は俺のことを睨みつける。
「はぁ?バレてねえと思ってんのか、アホ望月」
「ふぇっ!?」
(ば、ばれ……何をっ!?)
何がバレたのだろう?先生とえっちなことしちゃったこと?先生と両想いになったこと?それとももっと別の?
頭の中をグルグルさせて考えるも、どれもイケナイことのような気がして涙目になる俺の頭を、先生が引き寄せた。
「せ、せんせっ……!?」
「身に覚えがないけど……うちの子をあんまり困らせないで欲しいかな」
「……っ」
身に覚えがないと言いつつ抱き寄せる先生の意図は分からないけど、先生が大丈夫だよって言うみたいに頭を撫でてくれるから、俺は素直に身体を委ねた。本当は、緊張と羞恥心で動けないっていうのがのが、一番の原因だけど。
「はっ、良い度胸じゃん。悪いけど俺の口、そんなに堅くねえよ?」
「でも、心は随分と君のことを信用してるようだけど?」
「……っ。きったねえ、大人」
「あ、あのっ、二人とも……?喧嘩は駄目──」
あまりに険悪な雰囲気に耐えきれずに、思わず声を出すと、戸塚君はさっき以上の迫力で俺を睨み、いつもの台詞を、いつも以上に心を込めて口にした。
「人の気も知らねえで……この、アホ望月!」
「ひぃっ!?」
そうして、戸塚君の厳しい言葉と共に、俺の家出は幕を閉じることとなった。
帰り際、怒らせてしまったのが申し訳なくて、不安げな視線を戸塚君に向けると、赤い髪を掻きむしった戸塚君がため息混じりに「またな」って言ってくれて、心底ホッとした。
(だけど……どうしてあんなに怒ってたんだろう?)
シートベルトを締めながら、そう不思議に思うも、あの優しい戸塚君のことだから、また同じことが起こったらって心配してくれたのだと思いつく。
(戸塚君は俺のことをお人好しって言ったけど……俺は戸塚君の方がずっと親切だと思うな……)
俺の周りは本当に良い人ばかりだと、感謝を噛み締めていると、ふと運転席に座っている先生が俺の頭を撫でた。
視線を向けた先には、優しく微笑んだ先生がいて、胸がきゅっと苦しくなった。
(……でも、もう苦しいだけじゃない)
「帰ろうか」
「……はい」
先生の言葉に頷くと、先生は車を発進させた。
俺は滲む涙を隠すように、先生の家に着くまでの道のりを窓から眺めていた。
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