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第96話
*
「先生……洗い物、手伝ってくれてありがとうございます」
「こちらこそ」
たどたどしくお礼を伝えれば、先生はニコリと微笑んだ。あいかわらず先生はキラキラしてて眩しい、なんて思っていると、手を布巾で拭いた先生が俺の手を優しく引いて、リビングへと向かう。
「心、おいで」
「は、はい……」
先にソファに座った先生に続いて腰を下ろすと、先生が俺の後ろから手を回して頭を撫でた。俺は先生の方に頭を預けるようなかたちになり、優しく、ゆっくり、愛しんでくれてるみたいな手の動きに、ぎゅうっとたまらない感情が込み上げてくる。
「……心、リレーすごかったな」
「い、いえっ……それは、山田君たちが、練習に付き合ってくれたからで」
「うん。けど、心が頑張ったから、ちゃんと結果がついて来た」
「……」
「お疲れ様」
なんか……なんか分からないけど、それは多分リレーのことだけじゃなくて、俺が今までやってきたこと全部を褒めてくれているような、そんな気がして。
「先生が……」
「ん?」
「先生が、見ててくれるから、だから、頑張れたんです」
側にいられないなら、せめてって。もう一人で大丈夫だって思って欲しくて。
先生のためなら、なんだって頑張れる。自分が苦しくても、寂しくても、先生が幸せならそれで良いやって。
いつのまにか思考がリレーから逸れていて、考えれば考えるほど迷子になってしまう。
本当にこれで良かったのか。正しかったのか。そう不安になっていると、「心」と名前を呼んでくれた先生に頭をもっと引き寄せられて、俺はポスッと先生の胸に収まった。
「もう、そんなに頑張らないで」
「え……?」
「頑張り屋さんなのは心の良いところだし、尊敬もしてる。けど、俺の前ではもっと力抜いて、頼って欲しい」
「せん、せい……」
「少なくとも、もう一人で抱え込んで出て行くなんてしないで」
身体が離されて上を向くと、コツンとおでこがくっついた。先生の大きくて綺麗な手が、俺のほっぺと耳を包み込む。先生の温度がいつもよりさらに冷たいと感じるのは、俺が熱くなりすぎているせい。
「心は俺の一番大事な子なんだから」
「……っ」
「好きだよ、心」
甘く優しく愛を囁いてくれた唇が、俺の元へと近付いてくる。
何の経験もない俺でも、その行為の意味は分かった。もちろん不安もあるけど、先生になら全部任せられる。
俺は覚悟を決めて、緊張で張り裂けそうな胸を抑えながらギュッと目を瞑った。
ドクンドクンと胸の高鳴る音を聞きながら、先生のものを待つこと数秒。
「──え?」
柔らかな感触が伝わってきたのは、覚悟していたところとは違って、頭のてっぺんからだった。
拍子抜けして、ぽかーんと先生を見上げると、先生は俺の頭を撫でながら、少し照れくさそうに笑う。
「まずは、上書き」
「うわ、がき……ですか?」
何のことか分からずに首を傾げると、「大人気ないよな」と苦笑した先生が、俺を抱きしめた。俺を落ち着かせるように、ポンポンと背中を叩いてくれる。
「ちゃんとしたやつは、心がもうちょっと慣れてからにしよっか」
(あ、そっか……俺があまりにも緊張してたから……)
確かに、あのまま唇にキスをされていたら、興奮のしすぎで倒れていたかもしれない。今でも充分、限界過ぎるほど緊張しているけれど、やっぱりそれは特別だから。
「二人で一緒に、ゆっくり進んでいこう」
「……っ」
──大好き。
恥ずかしくて言えない言葉の代わりに、俺はおずおずと先生の背に手を回して、きゅっと力を込めた。すると、先生の手の力も強まった。それがすごく、心地良い。
「……おかえり、心」
「はい……ただいま、です。先生」
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