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第188話

 「……怒る?」  恐る恐るそう聞くと、先生は困ったように苦笑した。  「怒らないよ」  「本当?」  「ほんと」  その返答に俺は少しだけ冷静になった。もう一度「おいで」と穏やかな声で言われ、おずおずと近寄ると、腕を引き寄せられて、先生の膝の上に座らせられる。そして、コツン、と額が合わさった。  「ごめんな。責めてるみたいになっちゃったな」  「違うの……俺が悪いの……」  「悪くないよ。心が悪かったことなんて、一回もない」  おでこが離れていく。うまく目を見れなくて、伏し目がちになってしまう俺の頭を、先生が優しく撫でる。  「心」  「はい……」  「俺はさ、学生時代、友だちは沢山いたんだけど」  「……」  当たり前だ。先生だって、山田君と同じでキラキラしてたに違いないから。そんなどうしようもない自分との違いに、胸がチクッとする。だけど、先生が続けた話は、そんな俺の考えとは少しだけ違っていた。  「でもさ、遊ぶだけ。心みたいに、相手のことを心の底から考えて……っていうのは、なかなかなかった。そう思う相手は、一人いれば良いくらいかな」  「え……?」  思わず顔を上げる俺に、先生が優しく微笑む。  「心は確かに人付き合いが苦手かもしれない。友だちの数も少ないかもしれない。けど、戸塚君や山田……こころから思いやれる相手が二人もいる。これって凄いことだよ。俺はそんな心が、他の人より劣っているとは思わない」  「せんせ……」  「だから、もっと自信を持って。もっと、自分と周りを信じて。心が邪魔だなんてあるわけない。心が信用して仲良くなった山田は、そんなことを思うやつだった?」  「ちがっ……」    山田君はそんな人じゃない。それはよく分かってる。だって、山田君の優しさに、今までどれだけ助けられてきたか。  『なんか悩みごと?』  『俺でよかったら話聞くし』  『家族ってそれだけじゃないよな!』  『昼飯!一緒に食べよう!』  『当たり前じゃん。俺が仲良くしたいんだからさ』  『望月の新しい顔いっぱい見れて嬉しい』  『いっぱい思い出つくろーな!』  今までに交わした会話の数々。どれを思い出しても、その全てが温かくて。気付けば、一筋の涙が静かにぽっぺを伝っていた。  「……っ」  (会いたい……)  山田君に会いたい。会って、いっぱいお話して、笑いあって。そんな何気ない毎日がすごく楽しかった。いつだって山田君は元気を分けてくれて。そんな山田君と過ごす毎日が大好きで。山田君がいない生活なんて、これっぽっちも楽しくない。  (でも……俺は……)  ギュウッとズボンを握りしめ、唇を噛みながらうつむく。心に残るわだかまり。それを察した先生が、スルリとほっぺを撫でて、涙を拭う。  「先生……?」  「確かにさ、中学のときは失敗したかもしれない。でも、もう昔とは違う」  「だけど……」  「心はちゃんと成長してるよ。今だって出て行かなかったろ?それが何よりの証拠だと、俺は思う」  「そ、れは……」  確かにそうだ。俺にはどうしようもない逃げグセがあった。お父さんのことも、お母さんのことも。中学のときのことも。嫌なことは全部考えないようにして、見ないふりをした。  現に二度もこの家から……先生から逃げ出した。でも、その度に先生が迎えにきてくれて。大切だよって教えてくれて。今日は逃げ出したいとは思っても、出て行こうなんてことは少しも頭に浮かばなかった。  (俺、変われてるの……?)  不安な目を向けると、先生は俺の手を取って、ギュッと包み込んでくれた。安心する、大きくて綺麗な手。勇気をくれる、魔法なような温かさ。  「大丈夫。心は強い」  「俺が……強い……?」  「うん。心が思ってるよりも、ずっと強くて優しいよ」  「……」  「だから、自分の気持ちに正直になって。もし、頑張っても駄目だったら……そしたらまた、一緒に考えよう。何があっても、どんな結果になっても、俺は絶対に心の味方だから」  「味方……?」  「うん」  微笑んだ先生が俺のおでこに、唇を落とす。  (不思議……)  先生に強いって言われると、本当に強くなれりような気がする。先生が味方でいてくれると思えば、なんでも出来ちゃいそうな気になるの。  (もっと、変われるのかな……)  山田君の隣で胸を張っていられるくらいに、変わりたい。  (……ううん)  違う。変わりたい、じゃない。  変わらなきゃ。変わらなきゃ、駄目だ。

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