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***  紋さんにプロポーズをしたのは、お付き合いをしてから三年経った時のことだ。紋さんの親である眞希乃さんに挨拶をしたとき、泣いて喜ばれたのをよく覚えている。彼女は、父の虐待を受け心に深い傷を負っていた紋さんに、罪悪感を抱いて生きていたのだという。だから、眞希乃さんは僕に感謝の言葉を告げて来た。「この子を幸せにしてくれて、ありがとう」と。しかし、ありがとうと言いたいのは僕のほうだった。貴女が紋さんを産んでくれたからこうして僕たちは幸せになれたのだと伝えれば、眞希乃さんは声をあげて泣きながら僕を抱きしめてきた。親からの愛情をあまりわからないまま大人になってしまった僕は、彼女の抱擁に少し面映ゆさを覚えたが、遠慮がちではあるが彼女を抱きしめ返した。……温かかった。  幸せという言葉の意味を、僕は紋さんから教えてもらったのだ。……けれど、教えてもらったのは、もうひとつあった。  僕がアムルーズでお手伝いをしていた時のことだった。紋さんは配達で隣町まで行っていた。たしかその時、僕は眞希乃さんと、紋さんの話をしていたと思う。結婚式で彼女はどんなドレスを着ることになるのだろう、純白のドレスを着た彼女を早く見てみたい……そんな他愛もなくて幸せなことを。 『――あら、電話。ちょっと待っていてね、れいくん』  虫の知らせとは、あれのことを言うのだろう。その時に鳴った電話のコールが、いやに恐ろしいものに聞こえた。 『……眞希乃さん?』  なかなか戻ってこない眞希乃さんが心配になって、僕は眞希乃さんのもとへ向かう。僕が行った時、眞希乃さんはぺたんと座り込んでいて、ぼーっと虚空を見つめていた。受話器を、落として。 『……れいくん、……』 『どうか、しましたか?』 『……紋が、……交通事故で、……死んだって……』  ――二度と、戻ってこない幸せがある。それを、紋さんは僕に教えて、いなくなってしまった。 『うそ、ですよね? 眞希乃さん、……そんな、冗談……』  彼女の薬指に指輪をはめてあげることもできず、彼女に純白のドレスを着せてあげることもできず、あっという間に夢は消えて溶けていった。零れ落ちた涙が、指と指の隙間を抜けて床へ落ちる。僕の手は、何も抱きしめることができないのだと――そう言うように。 『ああ、……あ、……あぁあああああ……』  頭の中に浮かんだのは、いつか掻き消したはずの醜き思い出。  紋さんは、即死だったのだという。きっと――父に殺された人たちのように、真っ赤に染まって亡くなったのだろう。  僕は――紋さんと、あの悍ましい記憶を重ねてしまった。

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