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夕方の六時になった。あと一時間後には、約束の時間がやってくる。会いたい、会ってはいけない――その問答をずっと繰り返していた。気を紛らわそうと本を開いても、全く内容が頭に入ってこない。音楽を鳴らしても、かえって耳障りに思えてきてすぐに消した。
夕方の六時半。そろそろ支度をして外に出なければ、約束の時間には間に合わない。僕は時計を見つめては早くなってゆく呼吸のリズムに喘ぐ。あと少し、我慢をすれば……彼の約束を、破れる。
「……ッ」
六時三十五分。携帯が鳴りだした。僕は思わず声をあげてしまう。
つい、暁くんからかかってきたのかと思ったが、彼に番号は教えていない。慌てて携帯を手に取れば、相手は眞希乃さんだった。
「――はい、朝霧です」
『ああ、玲維くん……ごめんねえ、お休みの日に』
「いえ。どうかしましたか?」
『ううん。明日から二週間、私、お店に出れないからよろしくねって言おうと思って……』
「……? なにかあったんですか?」
『ああ、大したことないのよ。ちょっと階段から落ちてけがをしちゃって。なんとか救急車で病院にいったら、二週間の入院になっちゃった』
「……ええ? 大丈夫なんですか?」
『そんなに上から落ちたわけじゃないのよ。骨に少しひびがはいっちゃったくらいで』
「骨にひび!? 大丈夫じゃないじゃないですか……! 眞希乃さん、転んで足を悪くしたんでしょう?」
『うーん……ふふ、正直ちょっと痛いんだけどね……』
「……!」
眞希乃さんが、けがをした。それを聞いて、僕はさっと血の気が引くのを覚えた。昔、僕の親戚が転倒をきっかけに一気に体の状態が悪くなり、亡くなったのを覚えている。眞希乃さんはその親戚ほど高齢というわけでもないが、油断してはいけない。眞希乃さんの家の階段は高さもあるので、たとえ数段転がっただけでも相当な体の負担になる。
「……病院、どこですか? 今からいきます」
眞希乃さんは、紋さんにとっての大切な家族。彼女が大事になると、冷静ではいられなかった。今すぐに眞希乃さんのもとへ行って、彼女の無事な顔が見たかった。
ただ、今から病院へ向かえば、当然暁くんとの約束には間に合わないだろう。しかし、もともとその約束を守るつもりもなかったし、そもそも彼が僕の返事も聞かずに帰って行ってしまったので、「行く」と僕は言っていない。どうしても後ろ髪を引かれる思いに駆られたが、僕は眞希乃さんの入院を言い訳に暁くんのことを頭から追い出した。暁くんの想いを無碍にするのに、大切な眞希乃さんを使うのは……最低だなと思いながら。
それでも眞希乃さんのことが心配なことは事実で、僕は焦って上着を羽織って部屋から飛び出した。すぐにタクシーを呼んで、病院に向かった。
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