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第3話
香坂がまだ入社したての頃、正木と一緒に営業先を回っていた。教育がてら営業の場へついて行って、先輩の仕事ぶりを見て学ぶというものだ。
「香坂。次の所は大口だけど難しい方だから気をつけて」
「はい」
そう言われていたので、はじめは気をつけていた。しかし、営業先の人は一見気難しそうには見えず、正木とも盛り上がっていたので油断してしまったのだ。香坂にとって相槌のつもりだった軽い一言が相手先の逆鱗に触れてしまった。激昂して怒鳴る相手に何度も謝ったが、聞き入れてもらわず正木に「出て行っとけ」と小声で言われ、その後正木がどう収めたのかは知らない。
数分後に疲れた様子で出てきた正木に謝り倒したが、正木は叱ることもなくがしがしと香坂の髪を撫でて、「貸し1な」と笑ったのだ。
思えばあの時恋に落ちてしまったのだろう。当時はそんな事には気づかなかったけれど。
他人が聞けばそんなこと?と言われるほど単純な事かもしれない。それでも香坂はあの時の正木の笑顔に心臓をぎゅっと掴まれるような感覚に陥った。
その後も何度も正木がフォローしてくれて大口の営業先とは契約を切られずに済んだ。
そして、落ち込んだ時は何度も飲みに誘ってくれた。当時は正木が香坂の愚痴を聞いてくれていたのだ。
いとも簡単に香坂の中で正木は特別な存在になった。
この先輩について行こう。この先輩の為に頑張ろう。
そう沢山思って、見つめている内に気がつけば先輩の事ばかり考えてた。
しまいに、先輩の彼女の存在に嫉妬を覚えるようになって、元々バイの気配があった香坂は先輩に恋をしていると気づいてしまった。
気のせいだと何度か女性とも付き合った。しかし、その結果はどれも先輩がたまらなく好きと気付かされるだけに終わったのだ。
それからは悟られないように細心の注意をしながらも正木に懐くのを止められなかった。
後輩としてでいい。この人の一番近い後輩でいたい。
転職してからも飲み仲間として関係は続いていて、先輩を思う気持ちは変わらぬまま、いや更に強くなっている。
後輩としてそばにいれればいい。
でも本当は先輩の一番になりたい。
ただの後輩じゃない特別になりたい。
そんな不条理な感情はいつも香坂を苦しませていた。
夜中に正木の拘束が緩くなってきたところで、香坂はそっと布団から出た。
「はぁー」
正木は何も気付かずグースカ寝こけている。また見つめていると離れがたくなりそうなので静かに正木の家を出た。
電車に乗って、いつもの街へ。
正木と飲んだ後はいつも通ってしまうあの店へ。
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