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第7話
「香坂。来い」
真っ青な顔のままの香坂を連れて、正木は歩いていく。
香坂が持っていた名刺のバーへ興味本位で来てみるんじゃなかった。
正木はなぜ自分がこんな冷たい心と熱い怒りに震えているのか分からなかった。
この感情に一番近いのは何だろう。
怒り?嫉妬?独占欲?
どれも近いが、自分は香坂にそんな感情を抱く立場にないと気づく。
後輩がゲイでセフレがいた。それだけ。ただそれだけだ。
それなのに正木の心はざわざわとざわついている。
親友に裏切られたような感情?
いや、違うなと正木は自嘲を浮かべた。
恋人の浮気を発見してしまった。その感情に一番近いかもしれない。
一番信用していた人に裏切られた気分なのか。
自分が知らない香坂がいた事が悔しいのか。
香坂が汚された気分なのか。
どれも自分勝手な言い分だと思いながら香坂の手を離すことは出来なかった。
香坂の頭の中は大混乱していて、考えも感情も何も纏まらない状態だった。
なんで?なんで?こんな所に先輩が!?
手を取られて、力強く引っ張る正木に何も言えぬまま香坂はただただ引っ張られるままついて行くしか出来なかった。
頭の中を渦巻くのは絶望。
バレてしまった。
バレてしまった。
絶対にバレたくない人にゲイだと知られてしまった。
これならばさっさと自分でカミングアウトしておけば良かった。しかし、今から言っても後の祭りだ。
どう言えば誤魔化せる?色々考えを巡らしたが、いい考えなど思いつくはずもない。
どうしよう。どうしよう。
怒ったような顔をして前だけを見て進む正木に、ただ下だけを向いてついて行くしか出来なかった。
正木の家に着き、ばんっとソファーに投げ出された。
「座れ」
強く、怒りに満ちた声に従うしか出来ない。ソファーに小さく膝を揃えて浅く座った。
「あの男とやるのが用事?」
握りこぶしを強く握り、何も答えられずに下を見る。どうしようどうしよう。まだなにか言い逃れできないだろうかと考えるものの、結局何も思いつかず、微動だに出来なかった。
「セフレってまじなの?」
正木は腕組みをして香坂を見下している。なぜ正木はこんなに腹をたてているのか。ずっと可愛がっていた後輩が、ゲイということはやはり気持ち悪いのだろうか。
唇を真一文字に閉めて、香坂は何も言えずにいた。
そんな沈黙がどれくらい続いたのだろう。正木のはぁーという一際大きいため息が聞こえて香坂はビクリと体を硬直させる。
「なぁ香坂。覚えてる?香坂が入社したての頃」
正木は話しながら携帯をなにかいじっているようだ。香坂はこの先の展開は全く読めずにただ黙って正木を見守ることしか出来なかった。
「香坂、大口怒らせちゃって。あの時、俺に貸しがあったよな?」
もう何年も前のことだ。今更なんの話だろうと正木を見ると、強い目線にぶつかった。
はっと息が詰まる。
「香坂」
強い声で呼ばれて「はい」と答えると目の前のテーブルに携帯電話を置かれた。どうやら録画をしているらしい。
「今から俺が言う質問に嘘偽りなく答えろ」
「え…?」
「それで貸しはチャラにするよ」
つまり拒否権はないという事だ。
携帯電話の後ろで腕を組んでこちらを見る正木の様子に更に体を縮こませて携帯電話を睨んだ。
「あの男の言ってたことは本当?」
「…」
「答えろよ」
「…はい本当です」
正しくはセフレというのかさえ微妙だ。しかし、端的に表せばきっとそうなのだろう。
「香坂はゲイなの?」
「…はい」
「女の子と付き合ってなかった?」
「…付き合えるかなって…思ったけど無理で…」
「なんで言ってくれなかったの?」
「…」
先輩に惚れていたからなどもちろん言えるわけもなく、握り拳を一層ぐっと握った。
「俺に軽蔑されると思った?」
怯えるように正木を見て、こくんと頷いた。
「俺は…そんなに小さい男だと思われてた?」
「ち…違っ」
「違わねーだろ!」
バンっとテーブルを叩いた音に驚いて正木を見た。その顔は怒りや、悲しみが滲んだ顔に見えていつも笑っている顔とは全く違って戸惑う。
「なぁ…今日の用事ってあの男とセックスすること?」
「ちが…」
違うと言おうとしたが、じゃぁなんであんな所にいたかと問われても答えられず言葉を飲むしか出来なかった。
「違わねぇよな?ホテルに行くところだったもんな」
「…」
その通りです。それが目的であの場所に言った訳では無いけれどどう言い繕っても言い訳にしか聞こえない気がした。
「長いセフレなの?」
ふるふると首を振った。
「どれくらい?」
「二回…くらい」
「へー」
ぎしっというソファーの音。
「香坂ってそいうとこ軽いんだな。今まで知らなかった」
軽い…。違う。正木の好きな気持ちを誤魔化すにはこれしか方法が見つからなかっただけ。だが、そんな事を言えることもなく、言ったところで軽い事には変わらないかと諦めの自嘲を浮かべた。
しかし、そんな事も吹っ飛ぶ程のことが急に起こった。
正木はソファーと香坂の間に身を滑り込ませ、後ろから香坂を抱きしめたのだ。
「…っ!?」
何が起こっているのか分からぬまま、香坂は身を固くして更に縮こめた。
「どんな事されたの?」
「…なっ…なに」
ふるふると自分の拳が震えているのが見える。あまりにも予想外の事が起きると人間こんな風になるんだなとどこか冷静に見ていた。
「どんな事された?」
「どんな…」
正木の手は香坂の体を撫でる。腹を。胸を。太腿を…。
その感触が気持ちよくて身を任せそうになる。思わず反応しそうになった体をバレたくなくて離そうとするものの、正木の腕はそれを許してくれない。
「誰にでもそんな顔するの?」
びくっと震えて首を振った。
すると急に顎を持たれて噛み付くように唇を奪われた。
「んんん…」
正木の舌が香坂に侵入してくる。口腔を蹂躙されるように動くそれに己の舌も絡めるとぎゅっと吸い付くような感覚がして目眩がしそうだ。
「あっ…」
うっとりとした顔で見つめると正木に苦々しそうな顔で見つめ返されてしまった。
はっ!と焦ってと目を逸らした。こんな顔をしてはいけなかった。
しかし、ずっと恋焦がれていた人に激しいキスをされて平然としていられる人間が居るだろうか。
「そんな顔あいつにも見せたの?」
そんな顔とは…どんな顔をしていたのだろう。恥ずかしくなって下を向いたが、正木の手は再び香坂の顎を掴み、唇を奪った。
「どんな風にされた?正直に言え」
「…キスして、愛撫とか…」
「愛撫ってこんな感じ?」
正木は後ろから香坂シャツのボタンを外し、首筋や、肩口、背中に唇を落としていく。ちゅっちゅっとした音が、香坂の耳を襲う。
「ん…やめっ…」
正木の足が香坂の足を後ろから絡めて動きを封じられる。心臓が飛び出してしまうんじゃないかと思うほど鼓動が煩く鳴った。
これが恋人のそれならどれだけ良かっただろう。全てに身を任せて快感に溺れられたらどんなに幸せだろう。しかし、これは違う。恋人同士のものとは違う。涙が出そうになったが、必死に堪える。
「ここは…男でも感じるの?」
はだけてしまったシャツの間から正木の指が香坂の胸の突起を襲った。
「あっ…」
ぐりっと乱暴に掴まれて「んん…」と嬌声が漏れる。それを太腿の上で握り拳を握って快感に飲み込まれそうになる意識を保った。
「…あいつが好きなのか?」
耳元で囁かれる大好きな人の声。激しく首を振った。違う!それだけは勘違いして欲しくない。
「じゃぁ…他に誰か好きなのか?」
その質問にびくりと体を強ばらせて、何も言えずに動きを止めた。
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