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第89話

――ゆら…… ――ゆらり、ゆらり…… 抗い難い恐怖に耐えきれず、半開きになり涙ぐむ僕の瞳に辺り一面を覆い尽くす帯の海が広がってくる。その大海に浮かんでいる帯には――渦を巻き、水の流れを現している文様の【観世水】といった柄のものや【露芝】といった雑草の上に露の雫が僅かに落ちているような文様のもの、それに【青海波】といった今の状況にぴったりといわんばかりに形のよい波の文様のもの等――様々な柄のものがあるのがはっきりと目に飛び込んできたのだ。 今まで恐怖に怯えていたせいで、大樹の上方の枝から吊るされているのは頭で悟っていても、大樹の下方の光景にまでは気が向かなかったというのに――今は、無数の帯が蛇のようにうねり――なおかつ、まるで獲物である僕が帯の大海に落ちる様を今か今かと待ち望むように、帯の大海でぷか、ぷかとその身を漂わせているナニかの大群が大海に吊るされている僕をぽっかりと黒い穴があいている不気味な目で見つめつつ【おいで、おいで】をしているかのように既に白い骨となった細長い手を伸ばしている。 と、その時――今まで録に灯りがなく薄暗かった辺り一帯が急に目を開けていられない程に明るくなる。 カサ…… カサ、カサ…… とてもじゃないけれど人間離れで、生理的嫌悪感を抱かずにはいられない程に不気味な大蜘蛛の姿に変化した【爺や】が――ふいに、僕が捕らわれている大樹の枝の頂上付近に吊るされた提灯の方まで這って素早く移動する。 そして、ふっ……と息を吹きかけてからそれに明りを灯したのだった。提灯には花の形の文様が印されているため――ぼーっとしている頭の中で、つい夏祭りに使うような提灯を思い出してしまう。 【以津真天~……以……津真天~……】 ――帯の海をちゃぷ、ちゃぷと漂う喪服姿の女性達。しかも、単なる女性ではなく既に髑髏と化している。死して尚――この帯の大海という大蜘蛛の【呪場】から逃れられないのだろう――今の僕と同じように。 先程から聞こえてくる恨めしそうな声――それの正体は帯の海の中から無我夢中で細長い白い骨の手を伸ばし――獲物である僕を帯の海の中に引きずり込もうとする【喪服姿の女亡者・以津真天】達の無念な悲鳴と嗚咽なのだった。

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