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第147話

◆ ◆ ◆ 「……なっ……何だよ……っ……あれ―――あの……化けもんは……」 (……はは―――カサネセンセイだって……化けもんみたいなもんだよね……) とは敢えて言わず、夢月は今日のために持ってきたある物を背中に背負っていたリュックの中から取り出すと、【こちらの世界での腐望池に捕らわれてもがき続ける日向】と【こちらの世界の腐望池に日向を捕らえて苦痛から解放しようとしている蚊の化けもの】の方へと一歩一歩近付いて行く。 個体としては小さな小さな蚊が大群となり集まり、巨大化した【ソレ】は細長い手足を巧みに利用し、今となっては矮小なニンゲンでしかない日向の両腕に逃がさないといわんばかりに纏わりつくと―――まるで操り人形の如く意のままに【こちらの世界での腐望池】の底へと沈めようとしているのだ。 「……んな……に……なっちゃって……もう―――」 誰にも聞こえないようにボソッと呟いた夢月は慌てる事もなく、確実に【こちらの世界での腐望池】へと歩いて行くと―――こう言い放った。 「香住くん、おはよう―――いつまで、この世界に住みついてるつもり……××様なんていないよ……それは全部―――君の妄想だよ……さあ、ボクのもとに戻っておいで?」 「…………」 夢月が【ソレ】に言った所で状況は何も変わらないし、何も解決しない。それを察知した夢月は面倒事は厄介なのに、といわんばかりに軽くため息をつくと―――手に持った物の噴射口を【ソレ】に向ける。 そして―――、 「おやすみ……良い夢みなよ……大好きだった―――ううん、今でも大好きな香住くん」 ブシャァァァ―……と夢月は何種ものハーブが集まった香水をまるごと【ソレ】に吹き掛けた。しかも、一瓶だけでなく夢月はあらかじめ何十本 もの外国産のハーブ入り香水をリュックに詰め込んでいたのだ。その香水は、【とても強烈なハーブの香りがする】【香りがキツすぎ】と評判のものだったが夢月は周りに止めろと言われていても常日頃この香水を愛用し極度に付けすぎない程度に吹き掛けていたのだ。 【ソレ】に香水を吹き掛けた事で一気に状況は変わった。声にならない悲鳴をあげながら、とうとう【××様と化した香住だった怪異なるモノ】が苦しみ始め―――今まで細長い手足で捕らえていた日向を離さざるをえなかったのだ。 それは、一瞬の事で―――皮肉にも日向の体を支えていた【ソレ】の手足から逃れられた事で一気に日向の体が【こちらの世界での腐望池】へとズブ、ズブと飲み込まれるように沈んで行く。 しかし、夢月は何もしなかった―――これからするべき事が己の役割ではない、と気がついていた為だ。 「ちょっと……何してんの……っ……日向くんを助けるのはあんたの役目でしょっ……日向くんが自分を救ってほしいって願ってんのはあんただけ……早く行って……そしたら、ボクたちがフォローするから……っ……」 ドンッ……と夢月は日和の背中を押す―――。 日和は昔から水に入るのが苦手なせいで動揺を隠せずにいたが、ギュッと目を瞑ると幼い頃の日向の笑顔が瞼の裏に浮かんだのと夢月の鶴の一声もあり―――四の五の言ってはいられない、と【こちらの世界での腐望池】の淀んだ色をしている水中へ甥としてだけでなく特別な意味でも大好きだと自覚し始めている日向を救うために潜っていくのだった。 ◆ ◆ ◆ それから、数時間後___。 日向は香住が所有していた本の中の世界じゃない【御身山】で目を覚ます事となる。 元々、蚊が集まって香住の妄想により××様の姿だと具現化していた【ソレ】は___大嫌いなハーブの香りを全身に浴びたせいで跡形もなく消滅した……筈だ。少なくとも、あの場にいて記憶がはっきりしている日和たちはそう思った。それというのも、日和が日向を救うために苦手な水中に潜り込み、戻ってきた時には姿が消えていた為だったからだ。 【雨の日にだけ現れるマヨイガ】と呼ばれていた香住の住みかも……今は存在しない。 (いや……そんな事は今はどうでもいい……ただ愛する日向が無事だっただけで……っ……私は……私は……充分だ……) 「ち、ちょっと……日和叔父さん……っ……何でみんな……こんな所にいるの……っ……しかも……こんな土砂降りの雨の中……で……」 「少しは黙ってろ……日向___」 世界で大好きな人の中で三番に入るくらいに心の底から愛している日和叔父さんにギュウッと固く寒さで震える体を抱き締められた日向は何が起こったのか訳が分からなかったが、そんな些細な事が全部吹き飛ぶくらいの【嬉しさ】と【恥ずかしさ】に襲われ、からかうようにニヤニヤと笑う夢月やカサネ―――それと照れくさそうに顔を両腕で隠しつつ興味深そうに目だけでチラ、チラと此方を見ている小鈴の前で日和叔父さんの大きくて逞しい体を抱き締め返してしまうのだ。 その後、みんなと共に___父がアタフタしながら待っているであろう【我が家】へと帰るのだった。

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