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第166話
「ええっと……雪司くん……だよね。あのさ……少し藤司さんと話がしたいんだけど……何処にいるか分かる?」
「…………」
すると、きょとんとした表情を浮かべてから雪司という男の子は再びスケッチブックの方に目線を移してペンを持った手をすら、すらとリズミカルに動かしていく。
『とうじさんは いま ひなた に おかゆ つくって ます もうすこし まってて ください』
またしても、ミミズがのたくったような字で書かれた答えを見せられ―――ここにきて、ようやく雪司の声を今まで一度も聞いていない事に気づいた。
「雪司くん……もしかして、声が……出せないの?」
「…………」
雪司のペンを持つ手がピタリと止まった―――。
よくよく考えてみれば、先ほどの名前を覚えていなかった件に引き続き、またしても失礼な事を聞いてしまったと反省してしまった僕は「ごめん」と謝るよりも先に衝動的に目の前で何の反応も示さずにいる雪司という男の子の銀色の髪の毛に覆われている頭をくしゃっと撫でた。
そして、ようやく雪司がペンを持った手をスケッチブックへと動かし僕に対して何かしらの言葉を書こうとしている時―――、
ススッ………と襖が開いたかと思うと、手にホカホカと白い湯気がたち、心地よいとさえ感じるくらいにお米の香りを放っているお粥を持っている藤司さんが中に入ってくる。
その途端に、雪司と二人きりというささやかなひとときは終わりを告げて彼は藤司さんの背中へと隠れてしまうのだった。
「やあ、遅くなってごめんね……日向くん。雪司は君が察知してるように言葉が話せなくてね……そして、とても寂しがりなんだ……これからも仲良くしてもらえると助かるよ」
「藤司さん……」
何だか久々に藤司さんと、まともに話した気がする。思えば、藤司さんも前に暮らしていた村から追い出された厄介者の僕を邪険にせずに見守っていてくれた【家族】の一人だといえるかもしれない。
そんな風に思いながら藤司さんが持ってきてくれたお粥に口を運び、余りの熱さに顔を一瞬だけ歪ませてしまった猫舌な僕の様子を見つつクスクスとおかしそうに笑う藤司さんは、まるで親が子供をあやすように雪司の頭を撫でている。お粥を食べ終わる頃には、僕の体調も大分良くなってきた。
チッ、チッチッ……と壁にかけられている時計の秒針の音が早くと話題をなくしてしまい静けさに包まれている部屋へ響き渡り、妙に大きく聞こえてしまう。
すると―――、
「日向くん……今夜は念のために泊まっていくといい。君のお父さんたちにも言っておいたから……それにしても日向くん……君はとてもい親子関係を築きあげているね。とても、うらやましいよ」
「は、はい……こんな事は面と向かって父さんには言いにくいけど……とっても、とっても良い父さんで……その……一時期はギクシャクしてた時もあったけど……大好きなんです……父さんのこと……っ……」
頬を真っ赤に染めているのを藤司さんに見られるのが恥ずかしくて布団で顔を半分だけ埋めつつ、蚊のなくような声でポツリと呟いた。
「あはは……お父さんの日陰さんだけじゃなくて、君の叔父さんである日和さんのお父さんとは別の意味で大好きなんだろう……日向くんは……」
「ち、違いますよ……っ……もう、藤司さんってば―――からかわないでくださいっ……」
などと、まるで兄のような藤司さんと弟みたいに恥ずかしがりやな雪司とやり取りをしている内に―――あっという間に日が落ちて長い夜が訪れる。
―――久々に藤司さんたちとの逢瀬を楽しんだその日の夜中に【異変】が訪れる事など、その時の僕には知る由もなかったのだ。
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