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第184話

※ ※ ※ 「日向さん、日向さん……大丈夫ですか?」 「え……っ……僕は大丈夫だよ……小鈴」 赤いリュックを担ぎながら、小鈴が少し遠慮がちに僕へと尋ねてくる。おそらくだけれど、彼から見た僕は―――よほどボーッとしてしまっていたのだろう。 先ほど起きた事件を思い出す度に、胸がざわついて仕方ないのだ。それでも、洗面所前で感じた右目の凄まじい痛みはなくなり(ゴロゴロする不可感ら続いていた)遠足から帰ったら医者に行かなければとボーッと考えていた所に小鈴が声をかけてきた。 「良かったです……何だか日向さんが―――いつもとは違う風に見えてしまったので……心配してしまいました」 「いつもと違うって……それ、どういう……っ……」 と、小鈴が呟いた言葉に対して意図を尋ねようとした時だった。 ざあっ……と勢いよく風が吹き―――隣で歩いている最中の小鈴の艶やかな黒髪から「椿油」の甘い香りが、ふわりと漂ってきて僕の鼻を一気に刺激してきたのだ。 その途端、先ほどまで若干の異物感でしかなかった右目の内部に何か生き物が暴れ回ってぐにゃり、ぐにゃりと蠢きながら、このままではいずれ目ん玉が飛び出してしまいそうなのではないかという奇妙な感覚と共に凄まじい鈍痛が襲ってくる。 その、あまりの唐突さから、思わず足を止め―――身を縮こまらせ両手で顔(特に右側)を覆わずにはいられない。左目には何の異常もないというのに、右目だけがおかしい。 「ひ、日向さん……日向さん……っ……だ、大丈夫なのですか!?やっぱり、今日は―――もう、お家に戻って……っ……」 「う……うるさい……っ……甲高い声でうるさいよ……大丈夫だって言ったじゃないか!それに、僕に……気安く近づく……な……っ……」 此方へ慌てふためきながら近づいてくる小鈴に対して―――そして、その場に蹲りつつ左目からぼろ、ぼろと涙を溢す僕の身を心配して手を貸そうとしている心優しい彼に対して―――有ろう事か、伸ばしてくれた手を勢いよく振り払うだけでなく大声で怒鳴ってしまった。 酷く、苛々して―――仕方がない。 僕の身を案じて近寄ってきてくれた小鈴に対して―――苛々する事なんて本当であればある筈がないのに。 「ご、ごめんなさい……っ……ごめんなさい、日向さん……っ……」 「…………」 必死で泣くのを堪えつつ、小鈴が僕から少し離れると右目の痛みは嘘だったかのように消え去り、それと共に凄まじい鈍痛も地面に落ちた雪が溶けていくかのようにスーッとなくなった。 先ほどは小鈴に対して感じていた苛々感も、少し時間がたつと完全に消え去った。 けれど、心優しい小鈴に対してあんな事を怒鳴ってしまった負い目があり―――結局、学校に着くまで僕らは一言も話す事はなかったのだった。 通い慣れた学校の校舎が間近に迫り正門に着いた途端、ふいに右目が霞みがかったかのような感覚に捕らわれ、反射的に瞬きをした時の事だ。 まるで、僕らを待ち構えていたといわんばかりに正門の左脇にスーツに身を包んで眼鏡をかけた男の人がその場に佇んでいた。首をダラーッと下げているせいで正確な顔までは見えないけれど、少なくともこの学校の教師ではない事が分かる。 (まてよ、あの人……どっかで……っ……) と、僕が思った途端に―――先ほどの小鈴の時に感じた程ではないけれど右目に鈍痛が走り、嫌な胸騒ぎがした僕は反射的に違う方へと目線を移す。 ぽんっ………… 急に誰かから背後から肩をたたかれ、ビクッと身を震わてしまう。 「おっはよ~……日向くん。絶好の遠足日和だね~……って、あれれ……どうかした?」 「む、夢月か……びっくりした~」 「もう、失礼だな~……日向くんったら、人をお化けみたいに!!それより、もうすぐ集合時間だよ……早く、行こう!!ほら、小鈴くんも……っ……」 僕よりも少し遅れて、とぼとぼと歩いていた小鈴に声をかけた夢月が―――僕にはまるで救世主のように思えてしまうのだった。 スーツ姿の眼鏡をかけてる男の人は、いつの間にかいなくなってた。

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